「九条の会・わかやま」 306号を発行(2016年09月20日付)

 306号が9月20日付で発行されました。1面は、安保法制は「東アジア全体を不安定に陥れる」天下の悪法(半田 滋 氏 ④)、憲法講演会「立憲主義と民主主義を回復するために」、九条噺、2面は、第27回「ランチタイムデモ」実施、山の作家 川を描いた小説集 当会呼びかけ人・宇江 敏勝さん 失われた豊かさ小説で再現(第6弾出版)   です。

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[本文から]

安保法制は「東アジア全体を不安定に陥れる」天下の悪法

 7月30日、「2016戦争展わかやま」講演会が開催され、東京新聞論説委員・半田滋氏が「安保法制後の安全保障・自衛隊はどうなる」と題して講演されました。その要旨を4回に分けてご紹介しています。今回は4回目で最終回。

半田 滋 氏 ④



 昨年7月にイランが主要6カ国との間で核査察を合意し経済制裁が解かれることになった。ホルムズ海峡が封鎖されることはあり得ない。唯一の事例のホルムズ海峡が消えた今は「存立危機事態」は「総合的に判断する」という国会答弁しか残っていない。安倍政権のさじ加減が、自衛隊が海外で武力行使をする唯一の基準だ。
 アメリカ大統領選挙の影響も出てくるだろう。大統領が共和党になればシリアへの地上軍の派遣も考えられる。民主党になれば、今は上院も下院も共和党が多数のため、共和党の政策を受け入れ、地上軍の派遣も出てくるのではないか。地上軍を派遣するのでガイドラインに基づき自衛隊を派遣してくれと言われたら日本は断れない。
 自衛隊員が相手国に拘束された時、捕虜の扱いを受けられないということがはっきりした。交戦当事国でなければジュネーブ条約の捕虜の扱いは受けられない。拘束した国の刑法で裁かれ、死刑になったり懲役刑になったりする。現地の人を殺害したら、日本に帰って日本の刑法で裁かれる。自衛隊は軍隊ではないからだ。軍隊の場合は軍法があり、判断基準は軍務に忠実かが有罪・無罪の分かれ目だ。日本には軍法がないので、一般法で裁かれるという矛盾が出てくる。
 自衛隊の活動で一番変わるのは南スーダンのPKO活動で、今まで出来ないと言っていた駆け付け警護が出来るようになった。現在の南スーダンは非常に危険で、各国の文民警察やJICA要員はどんどん引き上げている。宿営地の共同防衛は今も出来る。2㎞×300mの中に8カ国の宿営地があり、ここが攻撃されたら、自衛隊は自分が攻撃されていなくても、他国部隊を守るために武器使用が出来る。これは駆け付け警護で武力行使だが、自己防衛だという理由で合憲とされている。11本の法律をわずか4カ月で仕上げたため、時間が足りなくてここまで手が回っていない。自衛隊に駆け付け警護は本当に出来るのか。14年7月に世界最強の米特殊部隊がISに拉致されたジャーナリスト救出に行ったが、そこに人質はおらず、翌日殺害された。世界最強の部隊でも正しい情報がなければ作戦は成功しない。日本は中東で情報を取る能力も、米特殊部隊のような能力も欠けているが、法律としては通っているから11月からやれと言われればやらざるを得ない。人質だけでなく自衛官の身も危なくなる。これらが安保法制で目に見えて変わってくることだ。要するに集団的自衛権行使は時の政権のさじ加減で何とでもなり、米軍の後方支援もやればやるほど自衛隊は危険になり、他国の法律や日本の刑法で裁かれたりすることになる。
 中国は日本を攻撃するために海軍力を強めているとか、北朝鮮は日本に落とそうと核開発をしているとか、そんなことはないと思う。中国には台湾の独立阻止とか、アメリカの関与を排除したいとか、北朝鮮はアメリカと平和条約を結ぶ前に攻撃されないように核武装をするとかの理屈がある。いずれにしても日本を攻撃する意図があって武力を強めていることはないと思うが、仮に安倍首相が言うように「日本を取り巻く安全保障環境が悪くなっている」のなら、危険が迫っているのに、何故、日本を防衛するための自衛隊を安保法制で海外に送り出すのかという矛盾が生まれる。自衛隊員と防衛費を増やすことが必要になるが、日本は周辺国と領土問題を抱えており、摩擦要因がある。そんな時に日本が自衛隊員と防衛費を増やし、憲法で海外では決して武力行使をしないと思われていた日本が、簡単な理由で武力行使ができ、安保法制で日本は変わったということになれば、日本を警戒して国防費を増やすということになるのではないかと思う。中国が国防費を増やせば、南シナ海で対立するベトナムやフィリピンが国防費を増やし、ベトナムが増やせば対抗するようにカンボジアやミャンマーが増やすということにもなる。中国が増やせば国境紛争があったインドが増やす。インドが増やせばパキスタンが増やすというように、日本の防衛費の増加をきっかけにして東アジア全体がどんどん軍拡競争に入っていく恐れが長期的には出てくるだろう。安保法制は、安倍首相が言う「日本をますます安全にする法制」などではなく、「東アジア全体を不安定に陥れる」天下の悪法といわなければならない。(おわり)

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憲法講演会「立憲主義と民主主義を回復するために」



長谷部恭男氏の発言から(日本記者クラブ15年6月15日)  憲法9条のもとで武力行使が許されるのは個別的自衛権の行使、すなわち日本に対する外国からの直接の武力行使によって我が国の存立が脅かされ、国民の生命及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険が切迫している場合に限る。集団的自衛権の行使は典型的な違憲行為だ。憲法9条を改正することなくしてはありえない。
 「我が国の存立が脅かされ、国民の生命自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」。このいかにも限定的に見える文言と、地球の裏側まで自衛隊を派遣して武力行使をさせようという政府の意図との間には、常人の理解を超えた異様な乖離があり、この文言が持つはずの限定的な役割は否定されていると考えざるを得ない。
 数多くの重大といえる欠陥含む安保関連法案は直ちに撤回されるべきであると考える。

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【九条噺】

 9月19日は安保関連法制が強行成立されて1年。集団的自衛権行使を容認し日本を海外で戦争できる国に変える憲法9条違反の法律だ。今夏の参議院選挙で廃止が大きな争点になったが、法成立を進めた自公などの改憲勢力が3分の2を超え、衆議院と共に参議院でも改憲発議に必要な議員数を得たことは記憶に新しい▼…はずだが、その後の東京都知事選挙やオリンピック&パラリンピックや民進党代表選挙といった報道の中でかすんでしまった感がある▼その陰では、法の施行にともない、自衛隊の任務に加わった駆け付け警護などの訓練が8月25日から始まり、11月から南スーダンのPKO(国連平和維持活動)に派遣される。現地は大統領派と副大統領派の激しい戦闘が続き、PKO施設の近くの銃撃戦で死者が出た危険な地域だ。混乱の中でPKOが敵とみなされて戦闘状態になる危険性が憂慮されている▼安保法制の背後には「応分の負担」を求める米国があることは知られている。同じ線上で日本政府は辺野古新基地や高江ヘリパッドなど沖縄米軍基地の増強を機動隊を入れて力づくで進めている▼平和、沖縄、経済、雇用、生活などでも安倍政治は国民に我慢や犠牲を押し付ける。世論調査は個々の問題で批判が多い。しかし安倍首相の支持率は高い。「替る人がない」という消去法か。「とりあえず支持」の空気を変えるには、粘り強く具体的な問題で分かりやすく訴え続けることしかない。(柏)

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第27回「ランチタイムデモ」実施



 9月12日、「第27回憲法の破壊を許さないランチタイムデモ」が行われ、まだ蒸し暑い中、80名の参加者は、市役所→公園前→京橋プロムナードのコースで、「戦争する国絶対反対」「9条壊すな」「沖縄いじめる内閣いらない」などと声を上げてアピールしました。閉会の挨拶では、19日に和歌山城西の丸広場で行われる「安全保障関連法制ただちに廃止!和歌山アピール行動」への参加呼びかけも行われました。
 次回は10月17日(月)に行われます。

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山の作家 川を描いた小説集
当会呼びかけ人・宇江 敏勝 さん
失われた豊かさ 小説で再現(第6弾出版)




 「山の作家」として知られる宇江敏勝さんが、民俗伝奇小説集「流れ施餓鬼(せがき)」(新宿書房)を出版した。熊野川と日置川流域を舞台に、今は失われてしまった川の暮らしと自然を小説に仕立てた。
 本に収めたのは、二つの川を舞台にした小説6編。高校卒業後、炭焼きや林業で暮らしてきた宇江さんの体験や古老から聞いた話をもとにしている。民俗伝奇小説集としては6冊目。
 タイトルとなった「流れ施餓鬼」は、麦わらの舟に新仏をのせ、火をつけて流す田辺市下川上の盆行事。舟は男たちが引っぱって川に流すが、過去に一度だけ女性が参加したと耳にしたのをもとに、病気の男性と女性教師の悲恋の物語に仕立てた。
 「団平船の熊野」は、熊野川沿いの小津荷(こつが、田辺市本宮町)という「船師」の里が舞台。団平船は上流の奈良県十津川村から河口の新宮まで木炭などを運び、新宮から上流へはコメなどを積んで人力で引っ張り上げていたが、昭和30年代に川沿いの国道が開通して全廃された。小津荷で出会った明治生まれの元船師の話をもとに小説にした。
 「新宮 川原町界隈」は熊野川河口の熊野速玉大社の近くの河原にあった町を描く。大雨のたびに家屋を分解して高台に避難する町は新宮の玄関口であり、最盛期は商店や宿が100軒以上ならんだ。1935年に河口の橋ができて衰退した。アユのなれずしや野菜などを「振り売り」する女性と、アユをとる男性の恋のてんまつを描いた。
 どの作品も、ウナギやアユ、ズガニをとる様子や、伐採した丸太をせき止めた水で流す方法、女性がツバキの葉でたばこを吸った「柴巻き」など、かつての習慣や生業、風俗を事細かに描写している。
 いま、熊野川も日置川も上流にダムができて水量が減り、魚も減った。宇江さんの小説に描かれるさまざまな怪異現象も遠い世界のことになった。「自然のなかで暮らしていると、理屈では説明できないことがしばしば起きる。近代化によって失われてしまった熊野の川や森の本当の豊かさを再現したかった」と宇江さんは話す。
 四六判280ページ。2200円(税別)。(朝日新聞・和歌山版9月15日)

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(2016年09月21日入力)
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