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戦争法廃止署名 1580万筆に
230万筆を国会に追加提出
10月5日、戦争法の廃止を求めて署名活動を進めてきた29の市民団体が5月19日以降に集まった約230万筆の署名を、東京・永田町の衆議院第一議員会館で民進党、共産党、社民党、生活の党、参院会派「沖縄の風」の野党議員に手渡した。野党議員を通じて国会に提出される。これまでに提出された分と合わせて、署名は約1580万筆に上った。
署名を集めているのは「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」など。5日に開かれた提出の集会には、市民約100人のほか、野党議員30人ほども参加した。
総がかり行動実行委員会の小田川義和氏は「署名に託された市民のみなさんの思いを真正面から受け止め、本気で共闘してほしい」と述べ、次の国政選挙に向け、「戦争法廃止、立憲主義回復、安倍政権打倒のたたかいをもう一回り大きくしていこう」と訴えた。19日の国会前行動などを提起した総がかり行動実行委の福山真劫氏は「憲法を守る、戦争する国には絶対反対するという決意で頑張れば、自公政権に負けるはずがない」と述べた。
署名を受け取った民進党副代表の神本美恵子参院議員は「1580万筆の署名を重く、力強く受け止めた。安倍政権と対峙し、戦争法廃止のために頑張っていきたい」と述べた。
署名活動は2000万筆を目標に昨年 月から実施。各地で署名集めが続いており、今後も逐次国会に提出する。
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憲法には形式的憲法と実質的憲法があり、
立憲主義にも広義と狭義がある
9月30日、和歌山弁護士会主催の憲法講演会が和歌山市で開催され、長谷部恭男・早稲田大学教授が「立憲主義と民主主義を回復するために」と題して講演されました。その要旨を3回に分けてご紹介します。今回は1回目。
長谷部恭男氏 ①
憲法には、形式的な意味の憲法と実質的な意味の憲法がある。形式的な憲法とは「憲法という名の法律」のことで、イギリスにはない。実質的な憲法は国であれば必ずある。そもそも国家とは何かは、我々の頭の中にしか存在しない「約束事」だ。「約束事」だから、行動することも話すこともない。ところが「日本がアメリカと交渉する」ように、「約束事」に過ぎないものが何故話し合ったり、戦争をしたりするのかが問題になる。これは生身の人間がやっていることを国家がやったことにしようと、「約束事」をもって個人の行動を意味付けているから、国家が話し合ったり、戦争をすると我々は考えて話をする。誰がやった行動でも国家がやったということにはならない。どういう資格を持つ人がどういう手続きで行動すると国家がしたことになるのか、その決り事を実質的な憲法と呼んでいる。あらゆる国に実質的な憲法があるのは当り前で、実質的な憲法がなければ国家とは言えない。
立憲主義にも広義と狭義がある。広義では憲法で政治権力を制限することを言う。「安保法案は立憲主義に違反している」というのは広義の立憲主義で、憲法は政治権力を制約しているのに、憲法が何を制約しているのかを、縛られている方が勝手に変えてしまうということだ。根源的に対立する価値観・世界観を認めるかどうかで、認めるのが狭義の立憲主義だ。中世のヨーロッパにも立憲主義はあり、世界観・価値観で唯一正しいものはキリスト教だ。農民から国王まで全てひとつのキリスト教の考え方に従って生きていた。いろんな価値観・世界観があるという前提には立っていない。近代立憲主義は、17~18世紀にヨーロッパで生まれた考え方だ。前提に宗教改革がある。プロテスタントは、個々のキリスト教信者は何が正しい教義なのかを、それぞれが自分で見つけなくてはならないと考える。宗教が前提だが、「どういう意味があってこの世界は存在しているのか」を教えてくれると主張する。この世の中の価値観・世界観はいろんなものがある。折り合いが付かないものもある。それを事実として認めた上で、人間らしい生き方をしようとすれば社会生活をしなければならず、宗教、信仰によって有利か不利かにならない扱いをする枠組みをどう作ればよいのかという考えに転換し、近代立憲主義が生まれた。近代立憲主義の中心のひとつが、「公」と「私」の区分だ。「私」の領域では個人が自分が選んだ価値観・世界観に従って生きる自由を保障する。そのために様々な自由や権利を保障する。人間として社会生活を送る上ではどうしても必要なものがあるので、「公」の領域に属する問題は、個人が勝手に決める訳にはいかないから、自分の価値観などを脇に置いて、話し合って決めていく。折り合いがつかない時は多数決という手段を取ることもある。これが民主的な政治決定ということになる。
明治憲法に日本の固有の立憲主義があると言われることがある。その核心は、第4条「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り行ふ」で、天皇自らが作った憲法の定めに従って国家権力を行使することを言う。これは日本固有のものではない。1818年の南ドイツのバイエルン憲法第2篇1条の「王は国の元首にして全統治権を一身に統べ、此の憲法の規定に従って行使する」と全く同じだ。ドイツの君主制原理を直輸入したものに過ぎない。天皇が国家権力を持ち、自分で憲法を作り権力行使を自分で制限することは論理的に可能なのか。もし、天皇が本当に明治憲法で制限されているのなら天皇は主権者ではない。天皇が憲法に縛られないなら憲法にはどういう意味があるのかということになる。(つづく)
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【九条噺】
「アベ政治を許さない」すっかりおなじみになったポスター。この書を知るまで、作者・金子兜太さんを知らなかった。氏の名が印された本を見つけ、手に取る。『あの夏、兵士だった私―96歳、戦争体験者からの警鐘』とある▼「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」表紙を開くとこの句が飛び込んできた。終戦でトラック島からの最後の引き揚げ船となった駆逐艦の上で詠んだ句とある。遠ざかる島を見つめ続ける一人の兵士の姿と心情が浮かぶ▼氏は武器をもって殺しあうのだけが戦争じゃないと言う。食糧補給が絶たれ飢えて死んでいく、手榴弾の実験事故の犠牲で死んでいく。「残虐死」「非業の死」と言っている▼戦争がいつ始まって、いつどうなったのか、みんな知らない間に、あれよあれよと敗戦への道を転げ落ちていった。今、こうした状況がじわじわと進んでいるのではないか、とも言う▼男社会だった俳句の世界にも女性が進出し、席巻するようになったと言い、氏はそのことを喜んでいる。女性に発言の権利がなかったことが、戦争の要因の一つと考えるからだ。同じように若者にもお礼を言いたいと言う。戦後70年積み上げてきた平和の尊さを認識し、「先輩方のおかげ」と敬意を払っているからだと言う▼9条改悪や戦争法が現実のものとなりそうな今、中野晃一さん(上智大学教授)の言う「敷布団」と「掛け布団」が、もっと広く手を携えてがんばらなければと思う。(真)
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九条の会いなみ、「おはなしの会」開催
「九条の会いなみ」は、読み聞かせサークル「グリムの会」と共催で、9月25日、印南公民館で、『これからを生きるあなたに 今、 伝えておきたいこと』をテーマに「おはなしの会」を開催しました。
最初に90歳近い年齢の中家弘之さんと朝木善一郎さんの体験談をお聞きしました。竹槍を持って登場された中家さんは、これで敵の飛行機を撃ち落とそうと本気で思っていたと当時の異常な社会を批判しました。早田和さんのオカリナ演奏はやわらかい音色に心がほぐされるようでした。和歌山の作家・山本真理子さんの紀州ばなしから『紀の川の渡し賃』というお話を語った朝木さんの張りのある声に会場のみんなは感動されたようでした。印南町の新進ピア二スト早田咲さんの演奏は抒情歌でつづる日本の四季。四季のある国・日本のすばらしさを感じさせてくれました。
最後に「グリムの会」のメンバーによる群読。「九条の会・わかやま」の呼びかけ人の作家・宇江敏勝さんの『山人伝』の中の「ピッコロ」を4人で読みました。会場には約70名が参加してくれました。お話や音楽を聞き、戦争や平和について考える時間を持ってもらえたと思います。(会の宮本浩子さんより)
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自衛隊員は捕まっても人道的扱いは保障されない
自衛隊員が海外で捕まっても現行法では、捕虜の取り扱いを受けられない。国際法は、兵士が残虐な行為を受けることを防ぐため、「捕虜」として人道的な扱いを保証するジュネーブ条約を定めている。
自衛隊による「後方支援活動」で、対立する軍や武装勢力に自衛隊員が捕まったらどうなるのか。政府は、自衛隊員が捕らわれてもこの条約上の「捕虜」には当たらないという立場を取っている。昨年の国会審議で「日本は紛争当事国となることはなく、ジュネーブ条約上の捕虜になることはない」と述べている。だが、これでは、捕まった隊員が敵側の法で一方的に処罰され、懲役や死刑に処せられることになりかねない。
「後方支援」は武力行使で攻撃目標になる。相手が隊員を攻撃したり、捕まえたりしたら、本来、日本はジュネーブ条約の当事国となるはずなのに、日本政府は捕虜資格を否定するので、敵による自衛官処罰の可能性が大きくなる。日本政府は、「後方支援」は武力行使に当たらないという前提で、自衛隊参加の道を開いた。「捕虜」を認めれば武力行使だと認めることになり、憲法違反になる。ガラス細工のような解釈を象徴している。(朝日新聞9月25日付より)
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