「九条の会・わかやま」 323号を発行(2017年5月20日付)

 323号が5月20日付で発行されました。1面は、世界が9条を求めている(伊藤千尋さん①)、基本的人権を行使し 立憲主義の回復を(植松健一さん ③)、九条噺、2面は、極右化して戻ってきた安倍政権(中野晃一さん ①)、3面は、第35回「ランチタイムデモ」実施  です。


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[本文から]

世界が9条を求めている

 5月13日、プラザホープ(和歌山市)で「5月の風に We Love 憲法 2017」が開催され、伊藤千尋氏(「九条の会」世話人)が「憲法を生かす世界の人々~15%の市民が目に見える行動をすれば社会は動く~」と題して講演されました。その要旨を3回に分けてご紹介します。今回は1回目。

伊藤千尋さん①



 宮古島の伊良部町に2本の滑走路があり、2005年、町議会がこれを自衛隊に使ってもらおうと、町民の意思も聞かないまま、自衛隊誘致の緊急動議を突然採決した。議員たちは町民に「おかしいと思うなら、今すぐに体育館に町の人を半分でも集められれば考え直してもよい」と言った。町民たちは車にスピーカーを付けて町中を走り、今すぐ体育館に集まってくださいと訴えた。2時間後に3500人が集まり、議員に態度を問うと、16人中15人が自衛隊誘致撤回に賛成し、翌日の議会で自衛隊誘致撤回決議を採択した。宮古島の九条の会の人が、以前から自衛隊誘致の動きがあり、監視してほしいと訴えていたが、誰も聞いてくれなかったように思えた。この体育館の光景を見て自分の訴えは届いていて、無駄ではなかった。誰も聞いていないように見えても、実は聞いている。一番大切なことは諦めないことと言っている。
 アフリカ沖のスペイン領・カナリア諸島のテルデ市に「ヒロシマ・ナガサキ広場」と名づけられた広場があり、そこにスペイン語の日本国憲法第9条がある。バス道路を造った時に空地が出来、当時の市長が市民が平和を考える広場にしよう、広島・長崎への原爆投下は人類に対する冒涜で、平和を考える広場なら「ヒロシマ・ナガサキ広場」にしたいと考えた。さらに、平和を考えるきっかけになるものを置きたい。それが9条だ。世界の国が9条と同じような憲法を持ち、軍隊をなくしたら、戦争はできない。世界平和の原点が9条ならば、ここに9条の記念碑を作りたいと考え、市議会に提案したら満場一致で決まった。日本人ではなく、スペイン人が考え、金を出し、作ったものだ。
 スペインだけではない。2015年3月、トルコのチャナッカレに9条の記念碑が作られた。カナリア諸島の記念碑を見た女性がトルコ人にその話をしたら、トルコ人が私たちも欲しいと作ったのがトルコ語で書かれたこの記念碑だ。広場の名前も「ヒロシマ・ナガサキ広場」になった。
 日本に次いで2番目に平和憲法を作ったコスタリカという国がある。2015年1月、国会が「平和憲法を長年に渡って守っている日本国民とコスタリカ国民に共同でノーベル平和賞を与えよ」というアピール文を満場一致で決議し、ノーベル委員会に送った。神奈川県で始まった取り組みがコスタリカまで広がった。国会議長は「私たちは共に平和憲法を持っている。コスタリカは熱帯で開発途上国、日本は温帯で経済大国。全く違う2つの国が共に平和憲法を持って長年やっている。ということは世界中どこの国も平和憲法を持ってやっていけることの証明だ。一緒に平和を輸出しよう」と述べた。コスタリカは日本と違って本当に軍隊をなくして、それで1949年から今に至るまで何の問題も起っていない。1986年に当選したアリアス大統領は、当時中南米で戦争していた3つの国を回り、3つとも戦争を終らせ、ノーベル平和賞が与えられた。彼は「平和憲法を持つ国は自分の国だけが平和で満足していてはいけない。世界に平和を輸出するのが平和憲法国家の役割だ」と言った。コスタリカは特別なことをした訳でなく、当事者に話し合いの場を提供しただけだ。コスタリカでは小学校から全てのもめごとは話し合いで解決出来ると授業で教えている。何故平和憲法を持ったのか。軍隊があったら武力で解決しようという発想になってしまう。もうひとつは軍事費だ。開発途上国で軍事費の負担は大きい。国家予算の30%が軍事費だった。本当に社会に役立つことへと、一人一人の子どもが自立できる教育が社会の発展につながると教育費への転換を決めた。スローガンは「兵士の数だけ教師をつくろう」だった。そして、小学校に入れば「人は誰も愛される権利がある。愛されていないと思ったら政府を代えることが出来る」と教える。(つづく)

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基本的人権を行使し、立憲主義の回復を

 4月1日の「守ろう9条 紀の川 市民の会」第13回総会で立命館大学法学部教授(憲法学)植松健一さんが「安倍首相はなぜ憲法を変えたいのか」と題して講演されました。その要旨を3回に分けてご紹介しています。今回は3回目で最終回。

植松健一さん ③



 それでもなぜ改憲なのか。「お試し」でやって国民を慣れさせようという「おためし改憲」とか、「とりあえずまずやってみよう」という「とりま改憲」とかが狙われている。私なりにまとめると、①「私らしさ改憲」、即ち、日本国憲法の破棄、或いは徹底的な改廃はアイデンティティーで、個人的な思い入れもあるだろう。右翼であるためには日本国憲法を徹底的に嫌わなければならないというところがあるのかもしれない。旗を降ろしてしまうと、日本会議もいろんな勢力があるので、まとまらなくなってしまうから、旗は降ろせない。②「どさくさ改憲」は、この間の災害対策というところから緊急事態条項を入れ込もう、ここを改憲の突破口にしようというものだ。とにかくどさくさにまぎれて国会議員の任期延長なども狙われている。③「偽の優しさ改憲」は、高校無償化とか、同性婚を認めるとかをやるためには憲法改正が必要だという優しさのふりの話になっている。しかし、高校無償化は法律でできる。やる気もないのに憲法改正のダシに使っているに過ぎない。13条の個人の尊重を重視すれば、同性婚も圧倒的な憲法学者は解釈で可能だと言っている。④「あわよくば改憲」は、安倍首相は安保法制などでやれると思っているが、もし、国民意識がミサイル問題などで憲法を改正してもよいとなれば、そこは一気に押し込もうと狙っている。チャンスがあれば自衛隊の完全な国軍化も目指している。
 トランプが出てきて、ヨーロッパでは右翼勢力が台頭し、日本でもヘイトスピーチが行われるなど、簡単に言えば排外主義とか差別主義が世界で勢いづいてきたのは事実だと思う。憲法13条には2つの重要な要請がある。ひとつは、「全て国民は、個人として尊重される」で、もうひとつは「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、国政の上で、最大の尊重を必要とする」という規定である。幸福追求の権利と、その前提として個人として尊重される権利の2つが保障されていることが日本国憲法のすばらしいところだし、まさに近代立憲主義の核心である。この間、安保法制の集団的自衛権の行使を容認するために、政府は13条を使い、「生命、自由及び幸福追求に対する権利に重大な影響を与える時」には集団的自衛権も行使できるとした。13条の都合のいい引用で飛躍だが、前半の「個人として尊重される」という部分を無視して集団的自衛権を正当化している。「個人」とはいろんな価値観の人がいるが、どんな人であっても価値は同じだということで、この発想からすれば、自衛隊員や他国の人が犠牲になっても自分たちの生命が守られればよいという話とは違う。「個人として尊重される」ことの大事さを知る人びとは、他人もまた「個人として尊重」しなければいけないということを考えることができるはずだ。個人を大切にする立憲主義を維持するために重要なのは、他者の気持ち、考えに「共感する力」が必要だ。そう考えれば、排除や差別はなくなっていくはずだし、なくしていかねばならない。
 沖縄もひどいことになっている。こと沖縄に関して国がやってきたことは、反対派を排除し、刑事訴訟法に反する長期拘束をしたり、知事に個人的に数百億円も請求するなど、合法の仮面をかぶった暴力だ。政府や官僚がそういうことをするから、沖縄に対する差別的なことを言ったり、無関心だったりする人が出てくることになる。
 今、政治的中立が問題になり、いろんな活動を萎縮させようとする動きがある。自治体の公民館などが政治的中立に反するから「憲法を守ろう」とかいうタイトルだけで貸さないなどの動きがある。これは勘ぐる政治で、忖度で記録にも残らない。そうした時、憲法12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」とある。「濫用してはならない」とあるので権利を制約する条文ではないかと見える。しかし、もともと立憲主義の「主義」とは、「本当はそうではなくてもいいけれど、自分はそういう体制を支持するというスタンスだ。権力者は権力を持っているのでやりたいようにやれるが、権力者も憲法の下での制約を破ることはできないという政治をやろうというのが立憲主義だ。放っておけば権力者は守らないが、守らせなければならないという価値選択だ。全体主義より立憲主義の方がよいということを選択したのだ」ということだ。そうなると「国民は日常的な不断の努力をしよう。自分たちの自由や権利を行使して立憲主義を維持させよう」ということになるだろう。表現の自由とかいろんな自由・権利が13条以下に保障されている。それを自分のために使うことは保障されているが、それだけではなく、時に政治家が立憲主義を破ろうとしたり、守らなかった時には、立憲主義を守るために私たちに保障されている自由・権利を行使する責任を負っている。これが12条が言っていることではないかと思う。そうなると私たちが集会やデモに参加するのは、自分の幸せのためというより、立憲主義を守ろうという12条が求める責任を果たしていることではないかと思う。
 「不断の努力」は同時に「普段の努力」でもある。この12条に基づく基本的人権の行使は「人権の立憲主義回復的な行使」と呼ぶべきもので、まさに「普段の」抵抗をバック・アップするものと理解できるのである。(おわり)

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【九条噺】  安倍首相は憲法改正を求める集会に寄せたビデオメッセージで、9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と述べた▼9条1項と2項はそのままにして新たに3項で自衛隊の存在を明記するというという。一体どのような条文を考えているのだろうか。戦力の不保持を明記する2項をそのままにして、3項に自衛隊の存在を明記するなど、どう考えても論理的整合性がない。3項に自衛隊を明文化すると、2項は完全に空文化する▼従来、自民党は9条2項を変えると主張してきた。自民党改憲草案は9条2項を「自衛権の発動を妨げるものではない」と変え、9条の2を新設し「国防軍を保持する」としている。自民党に党内民主主義があるとは思わないが、これとは全く矛盾するものだ。現に石破茂氏は「今まで自民党がやってきたことは何だったのかということになる」と述べている▼安倍首相はきっと、自衛隊を評価する声の多さから国民は反対しないと踏んで、自分の首相任期中に明文改憲をやりたくなったのだろう。解釈変更で集団的自衛権を容認し、憲法違反の「戦争法」を強行成立させた安倍首相のことだ。この次は2項を削除すればよいと考えているに違いない▼憲法改正の発議は国会がするもので、首相が「2020年に新しい憲法を」と言うのは国会軽視も甚だしい。そもそも憲法尊重擁護義務がある首相のこの発言は重大な憲法違反だ。(南)

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極右化して戻ってきた安倍政権

 4月28日、青年法律家協会和歌山支部の「憲法を考える夕べ」が開催され、中野晃一・上智大学教授が「市民の力で立憲民主主義を創る~他者性を踏まえた連帯の可能性~」と題して講演されました。その要旨を4回に分けて紹介します。今回は1回目。

中野晃一さん ①



 安倍氏が首相に戻った12年12月から今日まで、政党政治は完全な焼け野原で、危機的な状況だ。小泉政権の時に無茶が通るようになったが、敵を作ってそれを攻撃することで支持を調達するスタイルが出てきた。維新や、最近では小池東京都知事が似た手法を用いて、それが政治を一層混迷させている。しかし、小泉政権、第1次安倍政権で政治はかなり歪み出していたが、その後3年3カ月の民主党政権が出来たことからも分かるように、小泉政権の時はまだ民主党が上り調子だった。郵政民営化で圧勝し、無敵の小泉の印象があるが、実際は民主党がそれに伍するような健闘をしていて、07年に安倍首相が参院選に負け、ねじれ国会になって1年で、不本意な退場をさせられたが、04年の参院選も、改選議席では民主党に1議席負けている。これらは民主党が上り調子の時のことだった。ところが12年12月に、特に野田政権になって民主党は大きく国民の信頼を失い、崩壊するかのように下野する中で安倍氏が政権復帰することになった。自公で3分の2を超えたが、つぶさに見ると、自民党は3年3カ月の在野の時代に右に大きく振れている。小泉政権の時は構造改革で既得権益に切り込むので、自民党の伝統的な下部組織は去り、下野の間に公共事業がらみの支持は遠のいていった。そんな自民党でも熱烈に支持し、民主党政権を追い出さなければならないと支え続けていたのが、日本会議や在特会に繋がるような狂信的な右派イデオロギーを持つ勢力だった。自民党改憲草案が在野の時代に作られたのは偶然ではない。かつての自民党は、良くも悪くもお金でものを解決する人たちの政党だった。表面上は憲法改正を党是としているが、実体は憲法改正をするよりも政権に在り続けることによって、政権の旨味を吸って、それを子分に回し、それを求心力として権力に居続けることが自民党の政治課題になっていた。悪い面では汚職とか腐敗とか、どんどん溜まる財政赤字とかがあり、金で解決は決して褒められたものではない。しかし、今となれば、生活弱者に対し一定の目線があるのが自民党の懐の深さだということがあった。その自民党がとんでもない世襲の党になってしまった。生活の実感のない人たち、特権階級出身の人たちが自民党を牛耳って、その周りにいる政治家なら面倒みるという構図に変わってしまった。そして、さらに極右化し、日本会議に乗っ取られたような自民党になって野党時代を過ごした。それが政権に戻ってきた。
 09年、民主党が政権に就いた時は衆院480議席の内、300を超える議席を取った。小選挙区制の作用だが、今度は小選挙区制の逆作用で大きく負けて、下野した時は60議席を割るという状態になった。これは最大野党だから目も当てられない状況ということになる。さらに、この時に生き残った人たちは野田政権を最後まで支えた人たちだけだ。再配分をきちんとし、人々の暮らしを立て直さなければ日本の未来はないと言っていた人たちは、追い出されたり、出て行ったりした。今の民進党も中身はあまり変わっていない。14年の選挙で戻った人も若干いるが、それ以外は官僚出身者や松下政経塾出身者だったりして、結党以来一番右に寄っている人たちが残っているなど、今の民進党も含めての実態だ。だから、頼みのはずである民主党は、国会議員としてリーダーシップを取るような人たちに保守系が多いということが、12年12月の安倍政権復帰の時のもうひとつの現実だ。それだけではない。あの時、メディアが第三極ともて囃したのが、みんなの党と維新だ。元自民党大臣が率いる政党がもて囃され躍進した。維新は自民党総裁に戻る前の安倍氏に代表になってほしいと言っていた。実体としては今日まで自民党の別働隊で、野党か与党か分からないから「ゆ党」と言う人もいる。安倍首相は建設野党、責任野党と呼んでいるが、それが躍進するということがあった。最近メディアで安倍首相は、強行採決は一度も考えたことがないと言っているが、一般紙、テレビは強行採決と報道しない。官邸が強行採決と言うなと言っているからだ。取材に応じないとか攻撃されるとかで刃向かわないようになっている。根拠は、反対しているのは無責任な野党で責任野党は採決に応じ賛成に回っている。全ての野党が反対している訳でないから強行採決ではないと言っている。これが12年12月の安倍政権以来の寒々しい政党政治の実態だ。自民党がとてつもなく強くなり、公明党は物言わぬ軍団になり、むしろアクセルを踏んでいる。そして民主党は今まで最も右に寄った人たちが中枢に多くいるので、彼らには野党共闘は窮屈で仕方がないということになる。さらには別働隊の維新がいる。他の立憲野党は苦戦を強いられている。そうなるとチェック&バランスが働かない状態になる。冷戦が終る頃から政治改革、行政改革をやってきているが、それは官僚が支配して、政治家は利権漁りしかしていない。これをイギリス型の小選挙区制度に変えて、政権交代が可能な国にし、マニフェストを中心に二大政党制を作って、チェック&バランスをすればよいと変わってきたのが日本の政治のあり方だった。ところが、選挙でつじつまを合わせて、最終的には民主党に結集して政権交代が出来る体制を作ることで、政治のバランスを作ろうということになっていたのが、民主党が大きく壊れて、最終的にチェック&バランスがないということになってしまった。そこに極右化した自民党が残り、公明党が付いていて、維新などの別働隊もあり、民主党が弱くなり、右に寄っているという悪夢のような状態になってしまった。私は市民が立ち上がって大きく変えていくということをしない限り、とんでもないことになってしまうと思った。(つづく)

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第35回「ランチタイムデモ」実施



 5月15日、沖縄が45年前に日本に復帰した日に、第35回「憲法の破壊を許さないランチタイムデモ」が実施され、70人が参加しました。デモ出発に当って、藤井幹雄弁護士は、憲法記念日に安倍首相が憲法を改正し、2020年に施行すると表明したことを厳しく批判しました。参加者は和歌山市役所から京橋プロムナードまで、「安倍改憲絶対反対」「辺野古新基地を許すな」「共謀罪法案は廃案」などを訴え行進しました。  次回の第36回は6月12日(月)です。

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(2017年05月21日入力)
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