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利益誘導で意志を変更させる合意をしたのが米朝首脳会談
7月28~29日、プラザホープ(和歌山市)で「戦争展わかやま2018」が開催され、28日に国際地政学研究所・元内閣官房副長官補・柳澤協二氏が「戦争危機の時に考える平和への道筋」と題して講演をされました。その要旨を3回に分けてご紹介しています。今回は2回目。
柳澤協二さん ②
相手の意志を変えるために戦争をするのか、別の手段でやるのか、戦争ならどこまでやるのかを決めるのは政治だ。国民世論が燃えて支持しなければ戦争を続けることは出来ず、カギは国民感情にある。世論を煽れば無駄な戦争に突っ込む危険があり、世論を鎮めれば選挙に勝てないという民主主義のジレンマがある。国民がメディアなどに踊らされず自分の頭で判断することが、戦争の一番の歯止めになる。
何故人は戦場に行けるのか。「殺したい」は戦争ではなく殺人。「国のために死んでもいい」が戦争。やることは同じ。「死んでもいい」は究極の自己否定だが、自分の命を懸けるに値する価値があるという哲学に裏付けられる必要がある。それを昔の日本は「国のために死ねば英霊として祀られる」が下支えしてきた。今の日本にそれはなく、戦争が出来る社会ではない。戦争が出来るような制度をつくること自体がおかしい。
日本が直面する戦争危機は、「北朝鮮のミサイル問題」「中国との尖閣問題」「テロ」があるが、これらは主体が全て違う。戦争は国家間の対立だが、対立の中身が全部違うのに、安倍政権のように日米同盟強化というたったひとつの処方箋で間に合う訳がない。昨年2月14日に安倍首相は、「ミサイルを撃ち漏らしたら、報復してくれるのはアメリカしかない。だからアメリカと仲良くして確実に報復すると北朝鮮に思わせなければならない」と答弁したが、これは仮定の論理の上に成り立っている。アメリカが攻撃すれば報復すると言う北朝鮮に対して、アメリカ大統領がアメリカ市民の犠牲というリスクを冒してまで日本のために報復するという決断は出来ない。北朝鮮はアメリカに攻撃されても生き延びると考えるかもしれないし、北朝鮮が手を出さないという仮定も確かではない。この論理が成り立つには、日本が一発や二発のミサイルに耐えるだけの覚悟や強靭性がなければならない。抑止は安全だとはとても言えない。ミサイルは落ちてくるかもしれない。そうすると撃たれる前に敵基地攻撃をせよとの発想も生まれてくるが、ミサイル発射基地はどこかも分からない。飛んできたミサイルは、100%は落とせない。それで、アメリカが報復するという論理でこれに対応しなければならないことになる。100%は防げないからアメリカの抑止力が利いていると信じなければならないのだが、ミサイルが飛んでくることを前提にするからそうなるのであって、飛んでこないようにすればいいのだ。日本を攻撃する能力を持った相手が日本を攻撃する意志を持った時が脅威だと我々は言ってきた。核やミサイルを持つ国は世界にたくさんあるが、そういう国が全て脅威だとは言っていない。能力はあっても意志がないからだ。北朝鮮の核やミサイルは今日まで止められていないので、能力を持った相手に対して、もっと強い能力を持とうと言うのが抑止の話。能力を持っていても日本を攻撃する意志がなくなるようにすれば、脅威ではなくなる。では、何故北朝鮮は日本を攻撃しようとするのか。それは在日米軍が自分たちを攻撃するのが怖いから日本を攻撃しなければならないということになる。米軍に関係なく日本を攻撃する目的は北朝鮮にはない。日本と北朝鮮の間には戦争をしなければならない要因はないはずだ。戦争になるほどの恐怖は北朝鮮とアメリカの間にある。そこを何とかすれば、北朝鮮の攻撃の意志が止められ、意志が止まれば能力があっても脅威ではなくなる。6月12日に米朝首脳会談があり、北朝鮮の核放棄、アメリカの北朝鮮体制保証を決めた。これは問題の本質で、北朝鮮はアメリカに体制を崩壊させられるのが怖いからそれを抑止するために核を持とうとしていたとすれば、アメリカの体制保証が確かであれば核を持つ必要はなくなるという構造になっているはずだ。昨年の戦争の危機の時、私はアメリカは絶対に戦争はしないと思っていた。戦争をするからには勝てなければならない。勝つことの中身は金正恩体制を潰すことだが、相手も反撃してくる訳だから、こちらが被る損害が許容の範囲でなければならない。例えばソウルが火の海になったり、日本にミサイルが飛んでくるなどは軽微な損害とは言えない。北朝鮮の体制を崩壊させた後、どうやって2千万の人民に秩序をもたらして核を管理することができるのか。戦争は相手をやっつけることよりも、その後に、そこに秩序を取り戻す方がよほど大変だ。アメリカは既にアフガニスタンとイラクで大失敗をしている。そのアメリカが北朝鮮の体制を崩壊させることはありえないと考えていた。だとすると軍事的な圧力を加えたところで、最後には戦争になるという脅しがないと効果はない。このやり方は既に手詰りになっていて、いずれ交渉をせざるを得なくなる。そのポイントは体制保証ということになる。強制で意志を変えさせられないとすれば、利益誘導で意志を変えさせることが必要になる。6月12日に単純明快に合意したのは、正にそれしかないという合意をしたということだ。次の課題として朝鮮戦争を終らせることがあり、その後に日本やロシアも入り核の廃棄の支援、経済的な支援、日朝国交回復などの課題がさらにその次にある。(つづく)
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憲法12条の重要性
法政大学名誉教授・五十嵐仁氏
安倍政権が「戦争する国」づくりへ暴走するのは、暴走をストップさせ、自由と人権、平和を守るための国民の「不断の努力」が欠けていたのではないでしょうか。これは憲法が国民に要請していることで、改めて「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と規定する憲法12条の重要性について確認する必要があるように思います。
憲法尊重擁護義務から国民は除外されています。しかし、12条は他の条文とは異なり、この憲法が「保障する自由及び権利」は、国民自身による「不断の努力」によって「これを保持しなければならない」という直接的な要請が書かれています。
この規定は、憲法が保障する「自由と権利」を守るために国民が「不断の努力」を行うこと、それらが侵されそうになったら抵抗すべきことを求めているのです。このような国民一人一人の努力が積み重なり集まることになれば、それは集団的な行動となり政治的社会的な運動となります。
従って、政府や自治体などの行政機関もこのような国民の努力を支える義務を負っていると理解できます。自由と権利のために運動することはもとより、そのために努力する個人や集団を支援することは憲法上の要請なのです。
自由と権利を守るという点で国民も政治・行政・司法も中立ではなく、それを「保持」するために「不断の努力」を行わなければならず、それは憲法上の義務だということを忘れてはなりません。具体的には、国民にとっては自由と権利を守るためにある程度の不自由や迷惑を耐えるという「努力」が必要であり、政府や自治体などの行政機関は自由と権利を守るための活動を保障し、支援しなければならないということになります。
市民が自由と権利を守るために声を上げたり運動したりするのは、国民として憲法の要請を果たしている当然の行為にすぎません。政治・司法・行政はこのような国民の努力を鼓舞し、擁護し、推進し、支援しなければならない憲法上の義務を負っているのです。
憲法12条は自由と権利を保持するために努力すべきことを求め、憲法99条はこのような規定を尊重し擁護することを国務大臣、国会議員、裁判官、公務員に義務づけています。(『憲法運動』2018年8月473号《憲法会議発行》より抜粋・要約)
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【九条噺】
今年も広島・長崎で原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われた。8月9日の長崎の式典には初めて国連のグテーレス事務総長が出席▼グテーレス氏は「核保有国は、核兵器の近代化に巨額の資金をつぎ込み、2017年に武器や軍隊のために使われた金額は、世界中の人道援助に必要な金額のおよそ80倍にあたる」と核軍縮を要求▼長崎市長は「今も、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使って軍事力を強化する動きが再び強まっている」「日本政府は、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求める」と要求した▼被爆者代表は「日本政府は、同盟国アメリカの意に従って核兵器禁止条約に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言した。極めて残念だ」と抗議した▼被爆者や世界の人々が核廃絶を求めているのに、安倍首相は挨拶で「核兵器のない世界実現に粘り強く努力を重ねる」と言いながら、核兵器禁止条約の意義を認めることもせず、具体策もないのに「核兵器国と非核兵器国双方の橋渡しに努める」と述べた。他方でトランプ政権の核軍拡の新戦略を「高く評価」しており、ただ原稿を読むだけの空疎な挨拶だと思ったのは筆者だけではあるまい▼これでは、「トランプの代読をする安倍首相」(朝日川柳)、「ナガサキも首相原稿読みに行く」(同)、「出来もせずやる気もないのに橋渡し」(同)だ。やはり「アベ大災相」退陣以外に道はない。(南)
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【予告】守ろう9条 紀の川 市民の会「第15回憲法フェスタ」
チラシ両面は→ http://home.384.jp/kashi/9jowaka/tirasi/18kawafesta.htm
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書籍紹介 「九条の会」
1960年から1970年前半の、第九条と矛盾する軍事同盟であるところの日米安全保障条約の改定に反対する運動がつくりだした巨大なプロテスト・サイクル(抗議の周期)の後、この問題に関する日本国内の抗議行動は下火になり、数十年もの間目立った抗議運動は起こらなかった。しかし、2004年、突如として「九条の会」という新しい運動が現れ、瞬く間に全国、そして海外に、7500を超える数の「会」が作られた。このように長い期間の沈黙の後で、何がこの新しい社会運動へと繋がり、どのようにして、そしてなぜ、この運動はこれほどにも急速に発展したのか? 本書は、これらの疑問を、社会運動研究の概念と理論を使って解明するものである。(本書の帯より)
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発 行:花伝社 発 売:共栄書房
TEL:03-3263-3813 FAX:03-3239-8272 メ ー ル:info@kadensha.net
著 者:飯田洋子 解 説:小森陽一
出版日:2018年07月05日 定価:1,500円+税
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