「九条の会・わかやま」 378号を発行(2019年07月15日付)

 378号が7月15日付で発行されました。1面は、日本国憲法は近代立憲主義150年の歴史を満載した豪華客船 戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認にプラスして平和的生存権まである(長峯信彦 氏 ③)、私たちは諦めない 諦めた時が負けだ(稲嶺進 氏 ③)、九条噺、2面は1面からの続き   です。
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[本文から]

日本国憲法は近代立憲主義150年の歴史を満載した豪華客船
戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認にプラスして平和的生存権まである


 6月2日、「守ろう9条 紀の川 市民の会」第15回総会で愛知大学教授(憲法学)・長峯信彦氏が「安倍改憲のトリックを斬る~憲法制定過程の真実と平和憲法を守る歴史的責任~」と題して講演をされました。その要旨を3回に分けてご紹介しています。今回は3回目で最終回。

長峯信彦 氏 ③



 GHQは生存権を落とした。憲法研究会案は「健康で文化的な生活を営む権利を有する」だったが、25条には「最低限度の」が入っている。これは、国会議員を説得するための折衷案だが、「最低限度」が付いたので、生活保護は最低限度しか守られていない。軍事費を減らせば生活保護を少しぐらい増やしても問題はない。
 日本国憲法は押し付けられたと右翼は言うが、日本の近代化は黒船来航によって押し付けられ、以後、西洋文明が取り入れられ私たちの文化・文明として共存して現在に至っている。憲法が押し付けられたからダメだと言うのなら、押し付けられた西洋近代文明を全て放棄しなさいと言わなければならない。
 「9条は現実に合わせて変えろ」というトリックは、「良い・悪い」の価値判断の問題と判断の根拠となる認識の問題がいつも混濁しており、「憲法9条は変えた方がいいか」と聞くと、「変えた方がいい」と言う。「では、憲法9条の何がどう悪いか」と聞くと、「分かりません」となる。「憲法9条のここが問題だから、ここをこう直したら、こういう風に現実は変わる」という認識があって、価値判断が出るのが本来の思考方法だが、そういう思考プロセスを取らないで、いきなり価値判断に飛びついている。私たちは、日頃は普通に認識に基づく価値判断をしている。ところが憲法9条になると突然結論だけが出て、「何が問題か、どう変えたらいいのか」を聞いても、誰も何も言えない。憲法はと言っても、民法改正は何も言わない。如何に迷信に基づいて頭の中が構成されているかということだ。現実に合わせろと言うが、例えば、路上駐車だらけの道路には駐車禁止の看板がある。駐車禁止の看板は道路交通法が目に見える形で現れているものだ。路上駐車という現実があり、法の姿とズレている。ズレた現実に法を合わせると警察が言う訳がない。「現実」は何を指しているのかを見極める必要がある。
 日本の軍事費は5兆円を超え世界で7~8位だ。F35B戦闘機は1機180億円だ。しかも147機も配備するという。これは、戦争や軍事行動で利益を得る勢力が望んでいるものでしかない。「もし攻められたら」という架空の問いは無意味で、明日地震が起きたらというのと同じだ。戦争や軍事衝突は貧困・失業・経済破綻といった非軍事的な要因が引き金となる災害で、人為的な災害は人間の努力以外に解消出来ない。1日10万円を使っても、100年で36億5千万円だ。戦闘機1機180億円や、日本の軍事費5兆円はどれだけ大きいのか。慎ましい生活をしている私たちは、1機180億円などというこんな無駄なことに金を使ってほしくない。
 戦争法が憲法違反であることは自明だが、重要影響事態法の新設があまり知られていないように思う。戦争法の時、集団的自衛権行使が憲法違反かが議論の焦点で、政府が集団的自衛権と位置づけていなかった出撃準備中の戦闘機に給油するということがしっかりと法律に入っており、これに基づいた活動が始まっている。これは今から人殺しに行く米戦闘機に私たちの税金が使われるという話だ。これはれっきとした集団的自衛権行使、戦争行為そのものだ。安倍首相は「出撃前の戦闘機への給油は、それ自体は燃料補給行為であり、給油場所は、実際の攻撃行為が行われる場所から遠く離れているので憲法違反ではない」と答えた。例え話だが、「和歌山で人を殺す」と明言する殺人鬼に、安倍首相が東京で食料・交通費を提供しても、ただの「エネルギー補給/燃料補給」か。実際に殺人が行なわれても「遠く離れている」から殺人共犯に問われないのか。刑法では絶対に通用しない、殺人幇助、殺人共犯、殺人教唆など何らかの罪に必ず問われる。こんなバカげたことを国会で答弁している。
 憲法に自衛隊を書くと、自衛隊だけでなく、「自衛の措置」が付いてくるので、日本が集団的自衛権を発動してアメリカの軍事紛争に首を突っ込むことが憲法上可能になる。そうして本当に日本の戦争が始まってしまう。どこからかミサイルを撃ち込まれ、100万人が死ぬということが起きないとも限らない。そうなってから、何故そんなことに拘って憲法を変えたのかと気付いても、もう遅い。
 そもそも、日本国憲法は、近代立憲主義150年の歴史を満載した豪華客船のようなものだ。米国憲法にはない「社会権」「性別による差別の禁止」「女性参政権」は当然完備し、戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認にプラスして平和的生存権まで書いている憲法は他にない。日本の憲法は世界に先駆けて進んでいる。自民党の改憲案は私たちが持っている宝物をドブに捨てるようなものだ。戦争も原発も、「現実の結果」という《答え》をまざまざと人類に示した。後は我々が本質をきちんと直視し、真に人類にとって必要な価値は何か、真に未来に向けた責任ある選択は何かという《正解》を実現していくだけではないだろうか。(おわり)

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私たちは諦めない、諦めた時が負けだ

 5月18日、和歌山市民会館で「We Love 憲法~5月の風に」が開催され、前名護市長・オール沖縄共同代表・稲嶺進氏が「沖縄はあきらめない!~沖縄県民はなぜ辺野古新基地建設に抗うのか~」と題して講演をされました。その要旨をご紹介しています。今回は3回目で最終回。

稲嶺進 氏 ③



 辺野古では何故国の公共工事が認められるのか。今後軟弱地盤90mが一体どれ程沈んでいくのか、関西空港、羽田は既に何mも沈んでいる。関西空港は全体的に沈んでおり滑走路は真っ直ぐでまだ良い。辺野古では幾ら沈むか分からない部分と沈まない部分がある。そうすると滑走路の先は海に落ち込むことになり、使い物にならない。造っても使えないということになる。これは国民の税金だ。
 2月の県民投票の70%以上の反対の答を受けて、新聞社が全国の知事会議にアンケートをした。投票結果を尊重すべきは、静岡県と岩手県の2人だけだ。国防は国の専権事項だとみんな逃げている。しかし、国民の8割以上は安保を認めている。安保が日本国民を守ってくれるのならば、全体で基地を引き受けるべきだ。70%も沖縄に押し付けて逃げている。一方で安保はなくてはならないという国民のアンケート結果に悪乗りして安倍首相は何故沖縄にこれだけ基地が集中しているのかと聞かれると、他府県で引き受けるところがないと言っている。矛盾だらけで、基地を引き取る運動が全国で起きているが、本当に基地が来たらどうするのかと言っている人たちもいる。誰も来てほしくない。これが正直な答えだ。それなら沖縄ならいいのかということだ。
 今の状況の中で軍事専門家は新基地建設はいらない、戦略的に必要がないと言っている。政府は辺野古が唯一という根拠に抑止力と地理的優位性を言うが、この2つとも既に破綻している。国民は、自分たちに都合がいいから、声に出さない方がいい。みんなが基地は必要だと言うが、自分のところには来てほしくないということだ。沖縄は、基地をどこかの府県へ持っていってほしいと言ったことはない。自分たちと同じ苦しみを他の地域にも味わわせたくないからだ。最近、安倍政権もマスコミもそのことに口をつぐみ、耳を塞いでいる。沖縄は遺棄されているという思いに駆られることがある。他のところで必要がないものは沖縄でも必要がない。海外の米軍基地の再編計画は、アメリカは経済状況が厳しいので、外国の基地を整理・縮小する計画だ。この中に沖縄も入る。嘉手納飛行場以南を廃止するもそのひとつで、9千人の海兵隊のグアム、オーストラリア、ハワイへの移駐が計画に明記されている。沖縄に残る海兵隊は、司令部は残こるが、実働部隊は最終的には2千人ぐらいだ。そうすると誰が使うのかということになる。それでも沖縄に必要かを追及できないのは、マスコミを含めて安倍政権への忖度がそうさせている。
 辺野古では、ドローン撮影をして、今の状況を県民に逐一知らせているが、これが出来なくなる。要するに見せたくない臭いものには蓋をせよが見え見えだ。このように、沖縄は未だ憲法が適用されていない状況が続いている。基地には、滑走路から2600mの範囲には50m以上の建物はあってはいけないという高さ基準がある。基準に抵触する国立高専などがいっぱいある。高圧線電柱もある。電柱は取り除くが、高専は基準から外すという。生徒の命はどうなるのか。普天間小学校にヘリ部品落下という事件があった。その翌月からオスプレイが飛び立つと防衛局職員が小学校の運動場の子どもたちを避難させる。一番多い時は1日に29回、10カ月に700回だ。子どもたちは学校でも自由に遊べない。国はシェルターを作った。これはまるで戦場ではないか。ここまでして米軍のいいなりにならなければいけないのか。日本政府は学校・病院の上は午後10時以降は飛んではいけないという協定を結んでいるが、最後に「米軍の運用上必要な場合を除く」と書かれており、最後の1行で全部なかったことにすることが出来る。名護の近くにオスプレイが墜落して、粉々になった。現場に行ったら名護市長なのに制止された。押し問答で帰されてしまった。アメリカは不時着水と言い、防衛局の名護市への第一報は「オスプレイが墜落した模様」ということだった。時間が経つにつれて墜落がなくなり不時着水になった。国会でも追及したが、回答は「アメリカがそう言っている」というもので、一事が万事こんな状況だ。
 一体沖縄県民や国民の安全・安心は誰が守ってくれるのか。こんな状況の中でも私たちはゲート前で1700日以上、テント村では5700日以上の座り込みで抗議行動と監視をやっている。1日に5~600台のダンプカーが来て、座り込みをしている人たちが機動隊にゴボウ抜きにされ、簡易檻に閉じ込められている。厳しく、大変で、心が折れそうになるが、今を生きている私たちが今何をしなければならないかを思うから、ここに来る。それは子どもたちの未来に、戦争体験と27年間の植民地時代の、あんな体験をさせたくない。だから今出来ることを私たちはやるが、だからといって悲壮感や緊張感にさいなまされた状態では体も心も持たない。みんなで歌を歌い、踊りもしながら、楽器も奏でて頑張り続けようとしている。いつも確認するのは非暴力だ。ちょっとでも手を出すとすぐに警察に連れて行かれる。笑い飛ばしながら、したたかに、しなやかに運動を続けていく。頑張っておれば必ず私たちは目的を達することが出来る。そのためにも諦めない。諦めた時が負けだ。今日も、明日も、明後日も続くが、あくまで諦めずにやっていく。(おわり)

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【九条噺】

 映画「新聞記者」を見た。東京新聞・望月衣塑子氏の著書を原案とするサスペンス映画だが、ノンフィクション映画のように思えてくる▼表紙に羊の絵が描かれた「医療系大学の新設」に関する極秘公文書が匿名FAXで東都新聞に届く。吉岡記者は取材を始める。一方、内閣情報調査室で働くエリート官僚の杉原は、現政権維持の世論コントロールという仕事に葛藤していた。外務省時代の上司・神崎が投身自殺をし、杉原は内閣への不信感を募らせていく。神崎の通夜で偶然言葉を交わした吉岡と杉原に、官邸が強引に進める驚愕の計画が浮かび上がる▼これは加計学園のことだとすぐ分かる。映画はフィクションだが、公文書偽造に関わった官僚が自死したり、総理のお友達に莫大な学部新設利権が転がり込むなど、現実を彷彿とさせる「事件」が幾つも盛り込まれている▼望月氏と元文科省事務次官・前川喜平氏のテレビ討論の画像がスクリーンに映り、ますます加計学園問題がクローズアップされる▼杉原を始め、様々な官僚が登場する。公務員は国民全体の奉仕者という立場を貫きたいが、地位と生活で脅しをかけられ自死に追い込まれる官僚から「この国の民主主義は形だけでいいんだ」との衝撃の台詞を吐く官僚までを描く。この台詞は安倍首相が一番言いたい言葉だろう▼先のカンヌ映画祭でパルム・ドールに輝いた是枝監督は「これは、人がこの時代に保身を超えて持つべき矜持についての映画だ」とコメントを寄せた。(南)

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