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「戦争はイヤ!平和と文化を語るつどい」開催
憲法9条を守る和歌山市南の会
8月24日、南コミュニティセンター(和歌山市)で、「本土決戦に備えて高津子山・秋葉山に砲台や陣地があった」をテーマに「戦争はイヤ!平和と文化を語るつどい」が「戦争イヤ!憲法9条を守る和歌山市南の会」の主催で開かれました。
開会挨拶で世話人の西畑昌治さん(小児科医師)は、学生時代から反戦の立場、9条を守る運動にも参加してきた。今日は地元の歴史を学べるのを期待しているとし、最近の日韓関係を「日本政府が植民地支配の誤りを認めないので韓国が怒るのは当然。徴用工問題は解決済みとしたり、ホワイト国外しなど、対立を激しくしている。両国に反韓・反日を煽る風潮がある。戦争に先立っては排外主義が煽られる。しっかり歴史の教訓を学びたい」と述べられました。
次いで講演に入り、まず藤本清二郎さん(元和歌山大学副学長)は、「雑賀・和歌浦地区の地理環境と歴史(江戸時代以前)」として、古代から時代ごとの地図を示して、「和歌浦に注ぐ和歌川が古代の紀の川流路だった」「紀の川上流の大和から、大陸方面に開かれた港として、和歌浦や西浜があった」「水軒川に沿っても『畑地・水田』があり、和歌川沿いにも、西浜と同じく『塩浜(塩田)』があったのが特徴と言える」などと話されました。多くの参加者が初めて知って感銘を受けました。
次に森﨑順臣さん(郷土史家)は、「第2次世界大戦の戦跡(和歌浦地区を中心として)」として、終戦期に陸軍の徹底した文書焼却を逃れた全国でも稀有な「軍事機密」文書『和歌浦地区隊防禦計画第一大隊』から「和歌浦地区における陣地構築」を示され、①「肉攻(自爆攻撃)」準備遺跡②各種砲陣地遺跡を踏査された時のスライドを説明されました。①は秋葉山拠点が典型で、防空壕より大きな深い横穴に肉攻兵士を隠し、上陸した敵の戦車と歩兵が道路を通過する時に戦車に自爆攻撃をしかけ、高い壕から敵歩兵を狙撃する計画。②は天神山などにあり、上陸する敵を砲撃する計画でした。
①②遺跡は70年の歳月で崩落したり埋もれたりしており、防禦計画に記された地点を探しても発見できなかった例も多いそうです。7月31日付で急ぎ作成された計画書なので、着工されたか不明な例もある由。工事は削岩機もなくツルハシさえ不足な中での悲惨な手作業でした。
森﨑さんは最後に「昭和19年生まれの私は終戦時は幼児。もし和歌山が沖縄のように本土決戦の捨て石になっていたら、私がどうなっていたか。戦慄が走る。遺跡は和歌山市や周辺各地にあるので、研究し語り継いでほしい」と結ばれました。
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「ゴジラ和歌山上陸!宝田明さんと考える『平和』」開催
8月25日、和歌山市民会館で「ゴジラ和歌山上陸!宝田明さんと考える『平和』~これまでとこれからと~」が開催され、宝田明さんの講演と映画『ゴジラ』(1954年制作の第1作)の上映がありました。宝田明さんのお話の概要をご紹介します。
ゴジラは平和の伝道師
私は朝鮮で生まれ、満州のハルピンで育ちました。1945年8月15日に敗戦を迎え、日本が負けた途端、今まで威張っていたのに真っ先に逃げ出した軍や警察、そして役所のお偉いさん、いきなり態度が変わった中国人の知り合い、右往左往する近所の人たち、大人たちの嫌な姿をたくさん見せられました。しばらくしてソ連軍が満州に侵攻し、多くのソ連兵が戦車で乗り込んできました。略奪、女性への暴行も目にしました。
ある日、ハルピンの駅の近くに止まっていた列車に、日本の兵隊さんたちがたくさん乗せられていました。私が近づくと、兵隊さんたちが「来るな!帰れ!」と叫びながら手を振っている。その時、警備のソ連兵にいきなり発砲されました。右の腹に穴が開いたのです。家に帰ったら、腹が血だらけでした。しばらくすると、どんどん化膿して、近所に住んでいた元軍医さんが、裁ちバサミを火で焼いて、傷口をザクザクと切って弾丸を取り出してくれました。出てきたのは、鉛の弾です。取り出さなかったら、化膿と鉛の毒で命はなかったでしょう。今も、天気が下り坂になると傷口が痛みます。それで、明日は雨だと教えてくれる。ソ連兵は私の腹に気象台の分室をつくってくれたんです。おかげで、ソ連が作ったどんな芸術作品を見ても、憎しみが先に立って一切感動することはできません。
終戦の翌年、一家はハルピンから命からがら引き揚げて、父親の故郷である新潟県村上市にたどり着きました。
高校に入り、高校に出入りしていた写真店の店主の強い勧めで、東宝のニューフェイスに応募しました。最初の審査で東宝の撮影所に行った時は、緊張で動けなくなり長い間ベンチにうずくまっていました。守衛さんに「キミ、受験に来たんじゃないの」と声をかけられ、背中を押されて中に入りました。
1953年、東宝ニューフェイスとしてデビューしました。初主演映画は、1954年11月公開の『ゴジラ』でした。東宝撮影所の所長室に呼ばれて、台本を渡されました。真っ赤な表紙に黒い文字で「ゴジラ」と書いてあり、ゴリラとクジラを足して2で割ったんだと言われました。ゴジラはどういう姿をしているのか、ぜんぜん想像がつかなかったが、水爆実験で目を覚ました巨大な生き物がゴジラで、放射能を帯びた炎を口から吐くようになったらしい。「ゴジラも被曝者ですね」と言ったら、田中友幸プロデューサーは「その通りだ。そいつが人間に仕返しをしに来る。これは被爆国である日本が作るべき映画なんだ」と、力を込めておっしゃいました。マグロ漁船の第五福竜丸が、ビキニ環礁で水爆実験の放射能を浴びて犠牲者が出たのは、その年の春でした。日本は広島と長崎の原爆に続いて、水爆の被害も受けたのです。
撮影の初日にスタジオ入りして「宝田明です。主役をやらせていただきます」と挨拶したら、どこからか「バカヤロー!主役はゴジラだ」という声が聞こえてきました。確かに、そうですね。
撮影が進むにつれ、私はゴジラが気の毒になってきました。撮影所内で関係者だけが見る「初号試写」のとき、一人でわんわん泣きました。なぜ人間はこんな酷いことをするのか。静かに眠っていた生き物が、人間が作った核兵器で起こされて暴れる。そして最後は、「オキシジェン・デストロイヤー」で白骨化し、海の底に沈められる。ゴジラは人間のエゴの犠牲者です。
『ゴジラ』は、観客動員961万人という空前の大ヒットになりました。初代『ゴジラ』には原爆や水爆への抗議が込められています。最初の『ゴジラ』の日本で封切りの2年後に、アメリカでも現地の配給業者が手を加えた再編集版が公開されたのですが、あれは酷かった。アメリカ人俳優の出演シーンを付け加えて、核兵器への抗議はきれいになくなっており、単に怪獣が暴れる映画になっていました。
15年ぐらい前に、アメリカの20ぐらいの大都市でオリジナル版の『ゴジラ』を封切ったのです。それを見て多くのアメリカ人が共感してくれました。評論家も絶賛しました。やっと真意が伝わって「よかった」という気持ちと、俺たちは50年前にこんなにすごい映画を作ったんだぞ、「ざまぁみろ」という気持ちが半分半分でしたね。ゴジラという存在は、核兵器や戦争について考えるきっかけを与えてくれます。暴れまわって破壊しているイメージがあるかもしれませんが、ゴジラはいわば『平和の伝道師』です。
日本は明治以来100年ぐらい、戦争に次ぐ戦争に明け暮れた時代でした。なぜそんなことをしてしまったのか。是は是、非は非として、私たちは歴史からたくさん学ばなければいけません。俳優は、政治的なことは、自分の考えをはっきり言うべきじゃない。ずっとそう考えてきました。しかし、「今のうちに言っておかなければ」という思いがだんだん強くなってきたし、黙っていてはいけない状況になっているようにも見えます。この年になったら、遠慮したって仕方ありません。あの時代に生まれ、運よく生き残った人間として、平和の大切さを訴える義務と責任があると思っています。戦争というのは実に悲惨なんだ、苦しむのは無辜の民なんだ、絶対にやってはいけないということは、口を酸っぱくして伝えていかなければいけないと思っています。
私に残された時間があとどのぐらいあるのか、元気でやれるうちに、自分の思いを込めた映画を作りたいですね。
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【九条噺】
「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」が中止に追い込まれた。河村名古屋市長の言動は論外だが、愛知県も不当な圧力に屈した▼「京アニ」の惨劇を思わせる脅迫もあった。展示への批判は言論の自由であるが、害悪の告知は犯罪で、絶対に許されない▼出品者の一人の安世鴻(アン・セホン)氏は2012年、ニコンサロンでの従軍慰安婦写真展が、在特会を始め右翼からの抗議やニコン製品不買運動の呼びかけで、ニコン側からの突然の通告で中止になった▼後に、サロン使用をニコンに命じる判決を得たが、今は亡き(佐)氏がこの事件を201号の「九条噺」に次のように書いている▼「ニコンが突如中止したのは、右翼団体の街宣にとどまらず、『脅迫電話』が殺到、ネット上も『売国行為』といった非難が飛び交う異常な事態にみまわれたからだ。また、作家・高橋源一郎氏は『報道ステーション』で、尖閣諸島に香港の活動家が上陸というニュースへのコメントを求められ『そんなことより、〝領土〟という国家が持ち出した問題のために、もっと大切な事柄が放っておかれることの方が心配だ』と発言した。彼が帰宅すると、ツイッターに数え切れないほどの返事が届き、そこには『非国民』『国賊』『半日』『死刑だ』『お前も家族も皆殺ししてやる』といった罵倒の言葉が踊っていた」▼「表現の自由」への攻撃は、(佐)氏が書いた7年前も酷いが、今の方がより陰湿になっているのではないか。声を大にした反撃が必要だ。(南)
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「何処でも良いから改憲させて?」
参院選後、安倍首相は「総裁任期の中で改憲に挑みたい」「与野党の枠を超えて3分の2の賛成が得られる改正案を練り上げたい」と述べました。
この発言を踏まえてか、自民党の下村博文憲法改正推進本部長は8月13日、日経新聞のインタビューに答え、「首相が総裁任期の中で改憲を果たしたいと思うのは当然だ」と指摘し、国会で同党の4項目の改憲案にこだわらず議論を進めてもよいとの考えを明らかにしました。自民党は憲法9条に自衛隊を明記するなど4項目の改憲案を2018年にまとめましたが、「これ以外でも与野党が合意すれば深掘りして議論したい」と述べています。
「憲法のここが問題だから、このように改正したい」というのではなく、「何でも構わない。どこでも良いから憲法改正をやりたい」との考えで、要は「改憲という実績が出来さえすれば良い」ようです。また、下村氏は衆参憲法審査会の運営は「現場の幹事に任せている」とした上で、秋の臨時国会を念頭に「自由討議で自民党改憲案を発表したい」と語りました。自由討議で各党が憲法への考え方を持ち寄り、改憲に向け与野党の合意形成をめざす段取りを描いています。憲法審査会を離れた各党との協議は「憲法審査会で議論するのが先だ」と、あくまで憲法審査会開催に拘っています。
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