「九条の会・わかやま」 399号を発行(2020年05月09日付)

 399号が5月9日付で発行されました。1面は、憲法は今のまま大切に みなべ「九条の会」が街宣活動実施、森英樹さん 死去、この「緊急事態」に安倍政権はいったい何をしているのか(上智大学教授・中野晃一さん)、九条噺、2面は、和歌山弁護士会 「東京高検検事長の定年延長をした閣議決定の撤回を求め 検察庁法改正案に反対する会長声明」、言葉「公共の福祉」、書籍紹介 『逃げる総理 壊れる行政』追及!!「桜を見る会」&「前夜祭」、3面は、1面「中野晃一さん」の続き  です。

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[本文から]

憲法は今のまま大切に
みなべ「九条の会」が街宣活動実施




 憲法記念日の3日、みなべ「九条の会」は午前と午後の2回に分けて町内全域で街宣活動を実施しました。道行く人や田んぼで作業中の人たちは、私たちの街宣行動を見守ってくれていました。
 「今日5月3日は73回目の憲法記念日です。今、新型コロナウイルス感染症が猛威を振い、多くの国民の生命や暮らしが脅かされています。一刻も早くこの事態が終息し安心して暮らすことができるように願うばかりです。さて、今の憲法は73年間変えられずにずっと守られてきました。そして、その間、日本はよその国に戦争を仕掛けたことも、仕掛けられたこともなく、殺し殺される戦争をしていません。私たちは、日本に『憲法9条』がある幸せを絶対に手放したくありません。『憲法9条』は、戦争で無残にも命を失った多くの兵士たちの遺言です。ところが、安倍首相は、『憲法9条』に自衛隊を書き込んだ改憲案を国民に提起しようとしています。『憲法9条を変えても戦争にはならへんよ』と聞くことがあります。本当にそうでしょうか? 心配はないのでしょうか? 私たちは、米国との同盟の下で、日本を『海外で戦争をする国』にすることにつながると考えています」と訴えて回りました。
(会の平野憲一郎さんより)

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森英樹さん 死去



2014年の総会で講演される森英樹さん

 憲法学者で、名古屋大学名誉教授・森英樹さんが4月26日死去されました。全国憲法研究会代表、憲法会議代表委員、日本民主法律家協会理事長などを務められました。2014年「守ろう9条 紀の川 市民の会」の総会では記念講演をしていただきました。深く哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

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この「緊急事態」に安倍政権はいったい何をしているのか
上智大学教授・中野晃一さん




 「政府は、いったい何をしているのか」。こうした声が、憤りや不安を表現するものとして、日々発せられている。また同時に、このフレーズが文字通りの疑問として口にされることも少なくない。政府がいったい何をしているのか理解ができず、そのことに対する不満や困惑が広がっているのである。

▼だらだら感

 7都府県を対象に緊急事態宣言が4月7日に発令されて1週間余りがたとうとしているが、こうした疑問と不安が払拭されていないどころか深まっている。「緊急事態」と言いながら、政府の対応があまりにスピード感を欠いていることから、肝心の緊急性がまったく感じられない。危機感を募らせた自治体が独自に宣言を発令する動きも相次ぎ、政府が対象地域を全国に拡大する方針を決めたのは16日になってからだった。
 そもそも第1段階となった7日の緊急事態宣言では、発令に先だって臆測や前触れがだらだらと1週間以上も続いた。さらに発令後も、医療崩壊が目前に迫る東京都での具体的な休業要請の対象が発表されるまで3日間、安倍政権と小池百合子都知事との間で、居酒屋や理髪店など諸外国の事例で見てもおよそ「不要不急の外出」と見なされることがない業種をどうするかの駆け引きが行われたのだ。
 その間、新型コロナウイルス対策を担う西村康稔経済再生担当相は、まずは外出自粛要請の効果を見るために休業要請を2週間程度先送りしてはどうかと対象7都府県の知事に打診したとさえ報じられた。
 不可解なのは、西村氏の打診のタイミングだ。安倍晋三首相は、緊急事態宣言発令に際して行った記者会見で「2週間後に感染者の増加をピークアウトさせる」と述べた。西村氏の発言はその翌日に出た。緊急事態と言いながら2週間まずは様子を見て、しかし2週間後のピークアウトを目指しているというのは何事なのか。
 実はこうしたエピソードが、安倍政権の新型コロナウイルス対策の根本的な問題を表しており、政府はいったい何をしているのか、と多くの人が感じる理由でもある。それは、政府の決める対策の根拠とその決定過程の双方がともに透明性を欠いていて、その結果、政府の打ち出した対策の合理性や効果を含めた方向性が見えてこないのである。つまり何を根拠に何をどうすればどうなると誰がどこで決めているのかが分からないのだ。
 しかも安倍首相は、記者会見の質疑応答で、「例えば最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというわけではありません」と述べている。
 ここに来て、野党がかねてから主張していた国民への10万円一律給付だ。首相は4月16日、公明党に押し切られる形で、審議入り目前の補正予算案を組み替えて対応する方針へと転換した。こうした混乱ぶりを見せられては、リーダーシップどころか、為政者としての当事者意識すら欠如しているのではないかと疑ってしまう。

▼危機でも平時と変わらぬ業界団体への配慮

 安倍首相以下、政府が市民の安全を守る責任主体としての当事者性と説得力を示せずにいる一方で、首相や政府与党関係者、そしてマスコミが盛んに喧伝するのは、日本の特措法が定める緊急事態では政府が外出や営業を禁止する強制力を持たないので、欧米など諸外国で行われているような「ロックダウンはできない」という言説である。
 ことさらにこの点を言い立てて、だから緊急事態条項を憲法に盛り込む改正が必要だという、それこそ何の緊急性も必要性もない教条主義的な主張も散見される。
 しかし、いわゆるロックダウンのような徹底的な休業・外出禁止措置に積極的な姿勢を見せた小池都知事とのさやあての中で明らかになったのは、安倍政権は「ロックダウンしたくない」という事実であった。そしてそれは、これまで再三、立憲主義や法の支配の原則をないがしろにしてきた政権が、ここにきて急に一般市民の私権の制限に慎重になったからではない。
 その証拠に、7都府県の夜の繁華街などで外出自粛強化を要請する、つまり外出自粛をお願いするためなのに、さっそく警察がものものしくパトロールし始めていることを武田良太国家公安委員長が明らかにしている。
 それではなぜ、政府は実効性をともなう徹底した外出制限策を取ろうとしないのか。その理由は、実は単純である。一般に、新型コロナウイルス対策というと「感染拡大阻止対策」のことを指すが、安倍政権はそのように捉えていないからである。
 この政府にとって、新型コロナウイルス対策は第一義的に、新型コロナウイルスと感染防止策によって引き起こされている経済損失を軽減するための、とりわけアベノミクスや自民党を支えてきた業界や業種に目配りした施策や予算措置、つまり平時と変わらぬお得意の「経済・景気対策」なのである。
 そもそも、新型コロナウイルス対策の担当者として、安倍首相が任命したのは、通産官僚出身の西村経済再生担当相である。  世界各国が必死になって感染封じ込めに取り組んでいるのを意に介せず、日本の政府与党が「お肉券」だ、「Go To Travel」「Go To Eat」クーポンだとはしゃぎ、あるいは、航空便の大幅減少にあえぐ航空会社を救済する意味もあるのだろうか、客室乗務員に不足している防護服の縫製支援を依頼したいなどと言うさまざまに問題のある珍妙な案が出てくる。
 陳情や批判に小出しで応じて、民意に応えているかのような演出も毎度のことである。

▼国民に押しつける負担

 ならばなぜ、首相はここまで感染拡大阻止に楽観的もしくは無関心でいられるのだろうか。これは難問であり、また解は一つではないだろう。初動の遅れの際に対策本部をおろそかにして、連日会食を重ねて批判を浴びたことが記憶に新しいが、国民の健康や安全に心底関心がないことは、過去の災害対応でも明らかだった。
 東京五輪の開催やアベノミクスの破綻を防ぐこと、そして憲法改正へと少しでも近づくことなどのほうが、首相の中では優先順位が高いこともありそうだ。また五輪を1年延期するだけで開催できると判断した際にも伝えられたことだが、どうやら首相は、ワクチンや治療薬を日本の科学や技術の力で早期に開発できると思い込んでいる節も見られる。
 しかし決定的なのは、首相が感染拡大阻止対策を専門家会議や厚生労働省にほぼ丸投げしておけばいいと考え、時折、相談も脈絡もなしに全国学校一斉休校や各戸への布マスク2枚郵送などを打ち上げることで「やってる感」を演出できるものと勘違いしていることである。突如受け入れた10万円一律給付も、この延長線にあるのだろう。
 首相が感染防止対策でのリーダーシップを放棄する一方で、厚生行政や専門家会議が、検査や医療体制の限界を首相官邸や財務当局などに強く訴え、医療資源の緊急拡充を求める努力を怠ってきたのもまた事実である。
 検査数を抑え、いわゆる「自粛」によって感染拡大を遅らせることを主としたことは、結果として、市民の側に負担ばかりを求め、国の側が視野の狭い「経済・景気対策」にいそしむ慢心を許してしまった。
 専門家会議の主導してきたクラスター感染対策の限界が明らかになった「緊急事態」の今、最も恐ろしいのは、安倍政権が感染拡大阻止対策とそのコストをいよいよ市民に丸投げしてきていることである。十分な補償もインセンティブも、それどころか客観的で信頼できる情報やデータさえ満足に得られぬままで、一方政府は熱心に「自粛」要請を繰り返す。
 感染が阻止できなかった場合は、その責任を市民の「自粛」が足りなかったことに押し付ける流れがすでに垣間見える。星野源に便乗して投稿した動画に見られた安倍首相の「人ごと」ムードである。到底、人々が外に出ないで済むように万策講じる責任を負っていることを自覚しているようには見えず、強い反発を招いた。
 しかしこのまま感染が広がってしまい、医療崩壊によって多くの方が亡くなった、というような事態になれば、強制力のある外出禁止が日本ではできず、国民の「自粛」すなわち努力が足りなかったことがいけないのであって、憲法改正を含めた法整備によって政府がより自由に強権を発動できるような体制を整えなくてはならないというキャンペーンが展開されるだろう。
 無責任な政府に今よりもいっそうノーチェックとなるような権力を与えても市民の健康と安全は保障されない。誰もが安全な場所にいられるよう休業補償などを行い、国としての責任を果たさせることが、今こそ欠かせない。
(全国新聞ネット『47NEWS』4月16日付より)

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【九条噺】

 毎日新聞「余録」は言う。自分の責任を他人に押しつけるのを英語で『パス・ザ・バック』という」と。「バック」とはその時の「責任」を表わす。責任をサッと他人にパスすることだ▼第二次大戦末期に死去したルーズベルトから米大統領を引き継いだトルーマンは机の上に「ザ・バック・ストップス・ヒア(バックはここで行き止まり)」と書いた置物を置いていたという。最終責任は私がとるというのだ▼トルーマンは広島への原爆投下を命じ、「戦争を早く終らせ、多くの米兵の命を救うため原爆投下を決断した」とラジオ演説で正当化した。そんなに尊敬できる人物とは思わないが、それはさて置き、トルーマンでさえも「誰かに責任を転嫁しない。自分が責任をとる」と公言していた▼ところが「バック」を他人に投げつける人物が現れた。世界保健機関(WHO)が中国寄りと批判し、資金拠出停止を表明、WHOを兵糧攻めにするトランプ大統領だ。世界最大となった米国の感染爆発をもたらした自分の判断ミスや怠慢をWHOに押し付け、大統領選挙を乗り切ろうとしている▼「自分が責任をとる」と言わない人物が他にもいる。安倍首相だ▼新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、「緊急事態宣言」を発令した時の記者会見で、感染拡大対策が失敗しても「私が責任を取ればいいというものではありません」と言った。どうして「責任は私がとる」と言えないのか。こういう人物をいつまでも首相にしておいていいのかと思う。(南)

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和歌山弁護士会
「東京高検検事長の定年延長をした閣議決定の撤回を求め、検察庁法改正案に反対する会長声明」


下のURLをクリック
http://www.wakaben.or.jp/opinion/statement/20200424_kaicho.html

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言葉「公共の福祉」

 安倍政権は「新型コロナウイルス感染症」の拡大に「緊急事態宣言」を発しました。「緊急事態宣言」に強制力はないものの、私たちの自由は一定制約されることになりました。他方で憲法に「緊急事態条項」を作るため、「新型コロナウイルス感染症」を利用した「惨事便乗型改憲」を煽る動きも出ています。「緊急事態条項」とは、戦争・テロ・大規模災害などの非常事態が発生した場合、政府などの権限を一時的に強化する憲法上の規定で、政府は国会を通さず法律と同じ強制力を持つ緊急政令の制定や人権の制限ができます。「緊急事態条項」は、「緊急事態宣言」とは全く別の物です。
 ところで、日本国憲法には人権を制約するように見える「公共の福祉」があります。12条は「この憲法が保障する自由及び権利は、…国民はこれを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」、22条は「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」と規定し、「緊急事態宣言」や「緊急事態条項」と似たように人権を制限するように見えますが、「公共の福祉」とは、「社会の秩序や平穏という公共的な価値のために、個人はわがままを言ってはいけない」とか「多数の人の利益になるときには、少数の人は我慢すべきだ」というように、「社会公共の利益」で個人の人権を制限できるという趣旨ではありません。
 憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される…国民の権利については…国政の上で最大の尊重を必要とする」と規定しています。もし、「社会公共の利益」で個人の人権を制限できるということなら、13条で「個人が最高だ」とする憲法の個人の尊重の理念に反してしまいます。個人が最高の価値であるなら、その個人の人権を制限できるものは、別の個人の人権でしかありえません。つまり個人の人権を制限する根拠は、別の個人の人権保障にあります。
 社会生活の中では、時に、「ある人の表現の自由」対「別の人のプライバシー権」のように、人権と人権は衝突します。衝突の場面では相手の人権も保障しなければなりませんから、自分の人権はその限りで一定の制約を受けることになります。全ての人の人権がバランスよく保障されるように、人権と人権の衝突を調整することを、憲法は「公共の福祉」と呼びました。決して「多数のために個人が犠牲になること」を意味していません。「公共の福祉」は、その意味で「緊急事態宣言」や「緊急事態条項」とは別物です。「公共の福祉」の悪用に要注意です。
 自民党の憲法改正草案は、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変更し、「自由及び権利は、公益及び公の秩序に反してはならない」としています。明らかに個人の価値は「公」の下だということです。「公益及び公の秩序」は、憲法の基本的価値である個人の尊重を、「公」という曖昧で権力者による恣意的な解釈が可能なものによって、低位に置こうとするものであると言わなければなりません。

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書籍紹介
『逃げる総理 壊れる行政』追及!!「桜を見る会」&「前夜祭」




 「桜を見る会」問題で安倍晋三総理大臣を窮地に追い込んだ立役者・田村智子参議院議員と「政治とカネ」問題のスペシャリストが緊急対談! 問題の本質、その法的問題、ウソと誤魔化しの文書管理、今後の追及課題、そして政権交代への希望など話題は多岐に!
<内容>
 第1部 追及対談!田村智子×上脇博之
 第2部 国民のために税金を使う政治へ 上脇博之
  第1章 2020年度「桜を見る会」中止と真相解明の必要性
  第2章 安倍首相主催「桜を見る会」とその私物化問題
  第3章 「桜を見る会」招待者名簿の廃棄と説明放棄問題
  第4章 「安倍晋三後援会」主催「前夜祭」とその収支不記載問題
A5判、172ページ
定   価:1,000円+税
初版年月日:2020年3月20日
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(2020年05月09日入力)
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