「九条の会・わかやま」 410を発行(2020年10月10日付)

 410号が10月10日付で発行されました。1面は、第76回「ランチタイムデモ」実施、戦争法強行から5年 国会正門前行動に3500人、菅政権 学術会議人事に介入、九条噺、2面は、「学術会議に介入するな!」官邸前で菅首相に抗議する、安倍退陣で改憲の危機は去ったのか?、菅内閣誕生で完成「2012年体制」の悪夢(1)上智大学教授・中野晃一氏  です。
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第76回「ランチタイムデモ」実施



 10月8日、台風14号が日本列島に接近する中、第76回「ランチタイムデモ」(「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」呼びかけ)が行われました。あいにくの雨天で、次第に風も強くなり、体温も急速に奪われていくような天候の中でしたが、悪天候をものともせず、安倍首相退陣後初のランチタイムデモに50人の市民が参加しました。
 参加者は和歌山城西の丸広場から京橋プロムナードまで、浅野喜彦弁護士のコールに合わせて、「戦争する国ぜったい反対」「憲法こわすな」「9条守れ」などを訴えて行進しました。



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戦争法強行から5年 国会正門前行動に3500人



 9月19日、「戦争法強行からまる5年 戦争法は廃止!いのちをまもれ!改憲発議とめよう!国会正門前行動」が行われ、3500人が参加しました。安倍政治継承の菅政権から、市民と野党が共闘する政権へと転換させる決意を固め合いました。
 総がかり行動実行委員会共同代表・小田川義和氏が主催者挨拶。「安倍退陣は、私たちの運動が安倍政治の行き詰まりをつくったからだ。野党と市民が結集する政権へ転換させる決意を固め合おう」「敵基地攻撃能力の保有は先制攻撃だ。軍拡競争をやめ、政治を転換させ安倍継承政治に終止符を打とう」と訴えました。
 法政大学・上西充子教授は「国会パブリックビューイングを行っているのはまともな審議が行われないからだ。今日をスタートに新たな展開を広げよう」と呼びかけました。
 「止めよう!辺野古埋立て」国会包囲実行委員会・木村辰彦氏は「埋立ては技術的にも不可能で、必ず止めることができる。玉城知事あてに不承認にするよう意見書を出してほしい」と訴えました。
 安保法制に反対するママの会・町田ひろみさんは「私は保育士だが、保育所が閉まり、自宅待機で無給になったのに、社会保険料は自己負担させられた仲間がいた。そんな中でも自分たちで変えていこうという人たちも出ている。こうした流れを政治を変えることにつなげるために声をあげ続けよう」と呼びかけました。
 9条を壊すな!実行委員会・菱山南帆子さんが行動提起。「安倍政権を退陣に追い込んだ。新しい段階への出発点であり、確信にしよう」と呼びかけ、オンラインシンポジウム、ウィメンズアクション、署名宣伝、19日行動などの行動への参加を呼びかけました。(憲法共同センターNEWS9月23日第341号より)

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菅政権、学術会議人事に介入

小澤隆一慈恵会医大教授(九条の会事務局)ら排除  日本学術会議で長年守られてきた人事の独立が破られました。会議が新会員として推薦した105人のうち小澤隆一氏ら6氏が菅首相によって任命されませんでした。政府からまともな理由の説明は一切なく、会員からは「学問の自由」を脅かす違憲の行為と批判が相次いでいます。49年以来、日本学術会議法に基づき「独立して…職務を行う」と、高度な独立性が繰り返し確認され、会議が推薦した候補が任命されなかった例は一度もなく、18年にも任命拒否が企まれましたが、安倍首相ですら出来ませんでした。小澤隆一氏ら3氏は連名の声明で「学問の自由を脅かす」「日本学術会議の存在意義の否定につながる」と抗議し撤回を強く求め、10月1日、梶田会長に任命拒否の撤回に向け、会議の総力をあげてあたることを求める要請書を手渡しました。

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【九条噺】

 先日、NHKBSから「リムジンガン」(臨津江・イムジン河)が聞こえてきた。学生時代によく歌った曲だ▼今も「リムジンガン水清く/静かに流れゆく/水鳥は川よぎり/自由に飛び交うよ/南の故郷へなぜに帰れぬ/リムジンの流れよ答えておくれ」が口から出てくる。優しいメロディーに南北分断を悲しむ人々に心を寄せたものだ▼この曲は北朝鮮で作られ二番は「水鳥悲しく/南の岸で鳴き/荒れた畑に/空しく風が立つ/幸せ花咲く祖国の北の歌/リムジンの流れよ伝えておくれ」と、北が幸せと言っている。フォークルの「誰が祖国を分けてしまったの」の方が良いのではと思うが、それでも今のミサイル攻勢とは訳が違う▼筆者は09年にソウルから近い「烏頭(オドゥ)山統一展望台」に行った。途中、道路沿い500m程おきの監視所で24時間態勢で監視をしており厳しい現実を見た。展望台では眼前を大河が流れ、対岸に北朝鮮も見え、これがリムジンガンかと感慨深かった▼朝鮮半島が分断されたのは、戦前、日本軍が南北を分けて支配し、北を支配した関東軍と戦ったソ連が北半分を支配するようになった。南北を分けた日本軍支配が遠因という。そもそも、朝鮮が植民地ではなく、日本軍がいなければ、米ソ両国に分断支配されることもなかった。日本の責任は免れない▼我々日本人も南北分断の原因を作った国民として、リムジンガンが願う南北統一へ、一歩でも二歩でも前進するよう考えて、行動しなければならない。(南)

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「学術会議に介入するな!」
官邸前で菅首相に抗議する


首相官邸前で10月6日夜、市民団体が抗議集会を開催しました。



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安倍退陣で改憲の危機は去ったのか?

 安倍首相は改憲を果たせないまま退陣しました。8月28日の辞意表明の記者会見では、「残念ながら改憲世論が十分に盛り上がらなかったのは事実だ。国会で議論しなければ国民に広がらない」と述べ、無念さをにじませましたが、同時に「新たな体制の下、実現に向けて進んでいくものと確信する」と、菅政権に改憲路線が引き継がれることに強い期待を表明しました。
 安倍首相が企てた国会での自民党改憲案の提示は、5国会連続でできませんでした。昨年の参院選では改憲勢力が国会発議に必要な3分の2の議席を割り込み、首相が描いた20年から改定憲法を施行するという目標は事実上破たんしました。改憲が安倍首相の在任中にできなかった理由は、何よりも主権者・国民が改憲を求めていないからに他なりません。
 しかし、安倍退陣で、「改憲の危機は去った」のでしょうか。
 菅氏は、自民党総裁選で自衛隊を憲法9条に明記する安倍首相の路線を踏襲し、国会での改憲議論進展に期待を示し、9月8日の民放番組では「憲法改正で自衛隊の位置付けを盛り込むべきだ」と表明しています。自民党は18年、①9条への自衛隊明記②緊急事態条項の創設③参院選の合区解消④教育充実―の改憲4項目を策定。安倍首相は中でも9条への自衛隊明記に強いこだわりを見せていました。
 菅氏は、「自民党は憲法改正を党是として立党された政党だ。憲法施行から70年以上が経ち、現実とそぐわないことがたくさんある。憲法審査会の中で、各政党が立場を明確にして、審査会を動かし、そこで議論して、国民の雰囲気を高めていくことが大事だ。自民党総裁として憲法改正に挑戦していきたい」とはっきりと主張しています。当分は「おとなしく」しているかもしれませんが、明文改憲を決して諦めた訳ではありません。
 改憲は米軍の戦争に自衛隊を加担させようというアメリカ・財界などの要請によるもので、安倍首相が退陣したからといって危険がなくなるわけではありません。また、菅政権は「敵基地攻撃能力」の保持を強行しようとしています。憲法の規定を実質的に蔑ろにし、解釈改憲もどんどん進む可能性は大いにあると言わなければなりません。

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菅内閣誕生で完成「2012年体制」の悪夢(1)
上智大学教授・中野晃一氏




 安倍晋三首相が突然の辞任表明記者会見をするや否や、瞬く間に菅義偉官房長官を後継とする流れが二階俊博自民党幹事長によって作られ、2週間余りのメディア旋風を経て首相指名がなされた。いったい何が終わり、何が変わるのか、あるいは変わらないのか。分かるようで分からない有権者も少なくないのではないか。

 ■安倍政権か、安倍内閣か

 まず「内閣」「政権」「体制」という、政治に関わる基礎的な概念の整理から入ることとしよう。
 言うまでもなく内閣は、最もシンプルには首相と閣僚、つまり政治家からなる政府のトップのことである。広義では、これに各省庁の官僚制を含めた政府全体を指すこともある。
 これに対して政権は、首相や閣僚たちで構成する内閣に加えて、一方ではその指揮下にある官僚制、そしてもう一方では立法府で政府を支える与党を含む。つまり、内閣と政権は重なる概念である。
 ところが内閣が行政府のみを指し、三権分立の下、国会にある与党とも緊張関係に立ちうる別個の組織であるのに対して、政権は、英国型の議院内閣制にならって政府と与党の一体化を強調する点が決定的に異なる。
 体制となるとさらに概念は広がる。それは、与党だけでなく野党を含めた政党システムのあり方や、政府と市民社会の関係、憲法はじめ法体系などまでも包摂し、通常、より安定的なものである。
 かつて冷戦期に、政権交代が起きないまま自民党政権が38年続いた政治システムは55年体制と呼ばれ、その下では内閣の交代や改造が頻繁になされていた。
 さて、本稿で論じたいのは、2012年12月26日から7年8カ月の長きにわたり続いた安倍首相の下で形成されたのが「安倍内閣」あるいは「安倍政権」だったのか、はたまた、「2012年体制」とも呼ぶべきものなのか、そして菅への交代によって変わる、あるいは継承され定着が図られるのは何なのか、である。

 ■民主党政権に近似する皮肉

 朝日新聞記事データベースを活用して、安倍首相の在職期間中に絞って「安倍内閣」もしくは「安倍政権」のいずれかへの言及を含む記事を検索し、何人かの他の自民党の首相と比較すると、一見して明らかなのは、第1次にせよ、つい終わりを迎えたばかりの第2次にせよ、「安倍政権」に言及する記事数が突出して多く、かつて一般的だった「内閣」をはるかに凌駕していることである。中曽根や竹下では、「内閣」と呼ぶ記事数が「政権」と言及するものの2倍であったものが、第2次安倍政権では「政権」という呼称が定着し、逆に「内閣」とする記事の3倍を超えている。
 実はこうした報道における用語法や政治認識の変化は、第2次安倍政権に先んじた民主党への政権交代を経て加速した。「政府与党一体化」や「政治主導」を強調した民主党では、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦のいずれの首相でも、「政権」としての言及が「内閣」をゆうに上回っており、皮肉なことに、「内閣」でなく「政権」であったという意味では、安倍は小泉よりも民主党政権に近似しているのである。(次号につづく)(「市民連合」のHPより)

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