「九条の会・わかやま」 439発行(2021年11月17日付)

 439号が11月17日付で発行されました。1面は、憲法は国民がつくり 国家権力を縛るもの(多田一路氏 ①)、「表現の自由・精神の自由2021」④(志田陽子氏 ④)、九条噺、2面は、第89回「ランチタイムデモ」実施  です。
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憲法は国民がつくり、国家権力を縛るもの

 11月3日、「守ろう9条 紀の川 市民の会」の「第18回憲法フェスタ」が開催され、立命館大学教授(憲法学)・多田一路氏が「私たちはなぜ憲法を守るのか~立憲主義、民主主義、平和主義~」と題して講演をされました。その要旨を3回に分けてご紹介します。今回は1回目。

多田一路氏 ①



 総選挙結果は、いろんな観点で見なければならないが、何故維新の会が増えたのかを考える必要がある。政党状況が前回とは違うが、前回は希望の党、立憲民主党、維新の会を合わせると比例代表では77議席だった。今回は国民民主党、立憲民主党、維新の会で69議席だ。差の8議席は自民党が比例で増えている部分とほぼ同じだ。立憲は比例で減らし、それが維新に流れたと単純に考えることが出来る。共産党は若干減っているが、れいわ新選組に行っているように見える。憲法との関係では比例とか小選挙区ではなく、全体で改選議席の3分の2かを考える必要がある。これも4年前と比べると立憲は比例では維新に流れ減っているが、野党は小選挙区では18議席増えている。これは明らかに野党共闘の成果だと評価出来る。野党共闘は小選挙区で当選するためで、比例代表のためにあるのではない。小選挙区で増えているのは、野党共闘は成果を上げていると考えられる。一方で自民党への批判票が小選挙区で維新と立憲に行ったと考えられる。改憲を阻止する課題を追求すると、やはり小選挙区で共闘する以外にないということになると思う。
 本題に入ると、まず、憲法は法であり、法とは決め事だ。法は何のために決めるのかというと、そのルールを守らせるために決める。そして法として決まっていることは強制力が働くということだ。法とは世の中の公的な決め事なので強制力も公的に働く。故に裁判所が法に基づいて判決を出すということをする。今、法と言ったが、法と法律は厳密に言うと違う。上から下までいろんな決りをカバーするのが法だ。法律は国会が決めたものだ。法律も法の一種なので強制力を持つ。法律の強制力は法律に書かれており国民に働く。一方、憲法も法だから強制力を持つ。ところが憲法の強制力の対象は法律とは異なる。憲法という法の決め事は何のために必要なのか。
 憲法は歴史的に人類が発見した法の在り方だが、それが発見されたのは市民革命の時だ。フランス革命とかイギリスの名誉革命とかの時に発見されたのだが、革命の前は君主が「朕は国家なり」などと言いながら全面的な権力行使をしていた。全面的な権力行使の中で法律を作り、国民を支配するという古い歴史があった。それは困るというのが市民革命だった。庶民の人たちがそのような権力行使をひっくり返そうとし、その中で憲法が生み出されてきた。つまり、革命の中で君主の何の制約もないむき出しの国家権力の行使を止めようとしたのが市民革命で、その目標は権力をむき出しにさせないことだった。その中で憲法が作られるようになった。だから憲法というのはむき出しの国家権力は危険極まりないので、国家権力に対する何らかのコントロールが必要だ、国家権力に対して強制力を発揮するようなものが必要だと考えられて憲法が出来上がってきた。それは世界共通の原理で日本も同じだ。もし憲法がなければ、例えば「岸田政権の新しい資本主義はごまかしだ」という発言を、岸田政権は新しい法律を作ってそれを犯罪にすることが出来る。憲法があるから、そんなことを犯罪にすることは許されないということになる。憲法は国家権力に対する指令書、あるいは禁止事項リストであって、強制力の対象としては国家権力でなければならない。憲法は国家権力に対する指令書、つまり国家権力はこういう中身で、こういう権力で、誰がそれを担うのかを指示する、三権分立は実はそういう意味だ。立法権は国会が担うと憲法に書かれる。禁止事項リストは基本的人権だ。表現の自由を保障すると言えば、それを制約するような国家権力の行使は許されないというのが憲法から国家権力に与えられる指示になる。専制君主時代のむき出しの国家権力には基本的人権の考えはなく、基本的人権を踏みにじる。だから人間の尊厳を保護するためには国家権力を縛る必要がある。この考え方が立憲主義だ。(つづく)

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「表現の自由・精神の自由2021」④

 4月28日和歌山県民文化会館で青年法律家協会和歌山支部の「憲法を考える夕べ」が開催される予定でしたが、コロナ禍の中、中止となりました。講師の武蔵野美術大学教授・志田陽子氏の講演内容がYouTubeに公開されましたので、その要旨を4回でご紹介します。今回は最終の4回目。

志田陽子氏 ④



 一般市民の方にも表現リテラシー不足による攻撃的苦情がある。一般市民にも表現リテラシーが必要だ。いきなり気に入らない表現に向かって、火を放つとかは絶対にあってはならないことだ。批判の作法の共有が必要だ。それが出来ていないと、安全性確保の問題として表現が不自由なものになる。批判的意見と業務妨害やハラスメントは別物だとのリテラシーを持つ必要がある。表現者の政治的見解を理由として差別的取り扱いをすることはダメだという判決も出ている。「さいたま9条俳句事件」は、公民館便りに掲載される予定の俳句が憲法9条に関わる内容だったので、裁判所は不当な差別的扱いになり、原告の人格的利益への侵害に当たるとした。会場の安全性確保が出来ないという理由では、1995年の泉佐野市民会館事件があるが、差し迫った危険があることが具体的に予想出来る場合だけ、集会使用不許可が出来るというもので、差し迫っていない場合は中止させることは出来ないというものだ。この事例では集会に反対するグルーブが実力で妨害しようとして市民に危害を与える具体的な恐れがある事実があったが、この安全性確保という理由を簡単に口実にしてはいけない。
 我々は表現の自由を守る活動をするべきだが、表現の自由という権利を使わないと絵に描いた餅で終わってしまう。これらの人権は主張し使うことで生きてくる。訴訟で闘うか、交渉や請願で実現を目指すか、それとも次の選挙で理解のある人を選ぶのか、それは当事者が選択することだ。請願や「次の選挙で理解のある人を選ぶ」は民主主義のルートで実現するということだ。その前提として我々には精神的自由、思考と判断の自由がある社会が必要だ。そして民主主義のルートでものごとを実現するには時間がかかる。特に文化・芸術に関わる公的支援はまだ固まっていない形成途上の問題なので我々がやっていることが国として望ましい方向だという合意を自分たちで作らねばならない。自主性は法的には「やらない自由」もある。だからこそ、土壌としての「表現の自由」を委縮させないで守っていくことが大事だ。そして、そういう問題は学術の世界にも及んだ。2020年10月の日本学術会議任命拒否問題だ。これは社会が「知」を共有する機会、政府が必要な「知」を受け取る機会が狭まることで、社会や政府の首を絞めてしまうことになる。これはアラートで、専門家が精神の独立を保障されていて、政治を忖度せず、マズイと思ったらマズイと言えることは大切なことだ。行政の内部にいると行政の中立があるので決まったことはやるという立場で、物申す発言はし難い。そのために専門家は外側にいて、専門家として見て副作用が起きて危険なことがあると、アラートを鳴らす必要がある。このアラートを鳴らす機能を止めてしまうと、例えば、建物の中で火事が起きている時、建物の中にいる我々は気が付かない内に燃え広がり、手遅れになってしまうことも起きうる。今は感染症対策が色々と議論されているが、安全保障と軍事についても問題がある。こうしたことから科学者は自分たちの姿勢を政治から独立した形でキープしたいと考えているが、それに対する介入が増えていた。2014年頃から物理学、天文学の学者が心を痛めてきた。学術会議のメンバーの内、推薦されて学術会議自身がOKと認めた6人が政府によって任命拒否された。その理由が未だに明らかになっていない。軍事研究に対してやるべきでないという意見を持っている人とか安保問題に対して政府の方針に反対の意見を持っている人がはねられたと言われている。しかし、説明がないために推測の域を出ないことが多い。そうなると責任ある発言をしようとする専門家は発言し難い状態に置かれる。一方でタレント的な人は気楽に思ったことが言えてしまう。そのために多様な意見が持ち寄られてより正しいものに近づく言論よりも、人気を取るための言論の方がたくさん出てきてしまい、ここに言論空間の歪みや傾斜が起きてしまっている。民主主義と言論と学問の関係についての参考事例として2020年3月に放送されたNHKの「歴史秘話ヒストリア」の中で扱われた「隠された震災 昭和東南海地震」は戦争の中できちんと報道されず、被害もきちんと救済されず放置された。これには教訓とすべきことがたくさんある。震災の情報を政府が隠し、議会での議員の発言を封じた。この震災の報道には検閲が行われた。専門家が余震があるかもしれないと発言をしたところ、それを制圧されてしまった。こうしたことで一般市民は専門家の「知」を共有することが出来ず、報道を通じて命をつなぐためのニーズがあり、ここに救済が必要だと言う声が伝わらないことになってしまった。民主的な情報と意見の持ち寄りが出来ず、そのために被害が甚大になり、救済されない状態が起きてしまった。私たちはこうしたことから学んで、精神の自由を守ることが如何に大切かを再確認する必要があると思う。(おわり)

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【九条噺】

 岸田首相は10日、第2次内閣発足の記者会見で方針を発表し、憲法改正を進めるため、自民党内の体制を強化し、国民的議論の喚起と国会での精力的な議論を進めるよう指示したと述べた▼衆院選直前までの世論調査で自民大敗北が予想されたのに反して、自公・維新の改憲勢力が改憲発議に必要な3分の2の310議席を超えたことをふまえている▼先に維新は、来年の参議院選挙と同時に改憲国民投票をめざすことを提案、国民民主も議論促進で同調するなど、自公に揺さぶりをかけた。公明が9条改憲に慎重なことを見越している。一方立民・共産に対して憲法審査会をサボタージュして改憲論議が進んでいないと攻撃した▼実は維新の改憲論は教育無償化を表に立てて9条改憲を隠しているが、自民党改憲4項目を発議し国民投票するなら9条改憲を含まざるを得ない▼今のところ自公政権やマスコミはコロナ支援給付の方式をめぐる話題で盛り上がり、改憲の扱いは事実上小さいように見える。岸田首相の記者会見も、改憲努力を言いながら国民的議論と国会の精力的議論を求めるにとどまっている。11日の毎日新聞社説「自立と実行力が問われる」は小見出しに「ハト派外相どう生かす」「憲法改正は熟議が必要」とした。改憲の攻勢が強まる中でも、平和外交を求める声と9条改憲を望まない世論の力が示されている▼安倍・菅継承が目立ってきた岸田首相を、軍事重視と9条改憲に進まないよう世論で包囲したい。(柏)

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第89回「ランチタイムデモ」実施



 秋も深くなってきた11月9日、第89回「憲法の破壊を許さないランチタイムデモ」(呼びかけ:憲法9条を守る和歌山弁護士の会)が行われ、60人の市民が参加しました。
 この日のコーラー役は由良登信弁護士で、出発に当り、「今日は11月9日で『9の日』、デモ行進にはちょうどよいですね」という挨拶があり、行進の途中、コールの合間に多少のユーモアを混ぜた通行人への呼びかけが行われました。
 参加者は和歌山市役所から京橋プロムナードまで、由良弁護士のコールに合わせて、「憲法9条を守れ」「戦争反対」などを訴えて行進しました。

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(2021年11月17日入力)
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