「九条の会・わかやま」 441発行(2021年12月14日付)

 441号が12月14日付で発行されました。1面は、第90回「ランチタイムデモ」実施、合理的理性的に判断する有権者を九条の会が作る必要がある(多田一路氏 ③)、九条噺、2面は、第9回「平和を願う町民のつどい」開催 みなべ「九条の会」  です。
    ――――――――――――――――――――――――――――――
[本文から]

第90回「ランチタイムデモ」実施



 12月7日、第90回の「憲法の破壊を許さないランチタイムデモ」(呼びかけ:憲法9条を守る和歌山弁護士の会)が、あいにくの寒い雨天の中、55人の市民が参加して元気に行われました。
 今回のコーラーは、呼びかけ団体の共同代表の一人、豊田泰史弁護士でした。マイクの音量がうまく調整されており、隊列の先頭から最後尾まで、よく声が通っていました。豊田弁護士のコールは、憲法を無視する政治は許さないというコールの中に、時折「和歌山にIRカジノはいらない」というコールがさりげなく挿入されていました。
 参加者は和歌山市役所から京橋プロムナードまで、豊田弁護士のコールに合わせ、「憲法9条をまもれ」「戦争反対」「カジノはいらない」などを訴えて行進しました。



    --------------------------------------------------------------------

合理的理性的に判断する有権者を九条の会が作る必要がある

 11月3日、「守ろう9条 紀の川 市民の会」の「第18回憲法フェスタ」が開催され、立命館大学教授(憲法学)・多田一路氏が「私たちはなぜ憲法を守るのか~立憲主義、民主主義、平和主義~」と題して講演をされました。その要旨を3回に分けてご紹介しています。今回は3回目で最終回。

多田一路氏 ③



 第3点は、科学的知見や世論動向は政権に都合がよいものだけを取捨選択してきたのではないかという問題だ。昨年の日本学術会議会員任命拒否問題は、科学的知見を政府がどう取り扱うかという問題に関わる。科学的知見は政治的意思に歪められては困るので、政治的、思想的に独立して出さなければならない。科学的知見を出す時は政権には耳が痛いことを言われることも当然ある。ところが正に科学的観点で日本学術会議がリストを出したのに、科学的知見とは無関係な「総合的、俯瞰的」な観点でその人たちが排除された。排除された人たちを見ると政治的に排除していることがよく分かる。6人全員が人文社会学者だ。理系の学者は外されない。人文社会学系の学者は、科学的知見を出そうとすると政権の耳が痛いことも言う必要がある。内3人は法学(憲法、刑事法、行政法)で、現在の学術会議には憲法学者が一人もいない状態になってしまった。
 辺野古新基地建設問題は地方自治の問題でもある。地方自治の大原則は団体自治と住民自治だ。岸田首相が所信表明で「丁寧な説明、対話による信頼を地元の皆さんと築きながら、沖縄の基地負担の軽減に取り組みます」「普天間飛行場の一日も早い全面返還を目指し、辺野古沖への移設工事を進めます」と言った。対話はするが、言うことは聞かないということだ。そもそも辺野古で普天間がなくなるというのもフェイクだ。普天間基地の解消のためには辺野古が必要という話は、日米で合意している。日本政府は日米合意に則り普天間基地をなくすためには辺野古が必要だと、合意文書に従っては言える。しかし、辺野古を建設しさえすれば普天間がなくなる話にはならない。そこにはフェイクが混じっている。
 第4点は、憲法を変えねばならない理由の存在には全く無頓着だという問題だ。96条は法律より憲法を変える時の方が厳重で困難な手続きを要求している。憲法と法律は違う。憲法は、より熟慮して変えるべき時に変えるということになる。国会でも3分の2の賛成を要求しており、3分の2の議員が「そうだな」と思わないものは変えてはいけないということだ。きちんと考え、必要だから改正するということを日本国憲法は想定している。だとすると、前に言った理由と今言う理由が違うのは本当に熟慮したのかという疑いが生ずる。岸田総裁は選挙中に、「自民党改憲4項目で改憲を実現していきたい」と言い、9条改憲では、自民党改憲草案の改憲理由が改憲4項目の改憲理由にすり替わっている。12年の改憲草案では、集団的自衛権は行使出来ないといけないのに行使出来ないのは9条2項のせいだから、2項を変え集団的自衛権が行使出来るようにするというものだった。ところが、改憲4項目では「自衛隊の活動は多くの国民の支持を得ている」が「自衛隊合憲論の憲法学者は少なく、教科書は違憲論に触れており、自衛隊違憲という政党もある」ので、自衛隊をきちんと憲法に位置づけ、自衛隊違憲論を解消すると言っている。15年の安保法制で集団的自衛権行使は実現した。自民党の論理では9条改憲の必要は安保法制成立で消滅しているはずだが、なお9条を変えたいという欲求が残っている。自衛隊は多くの国民の支持を得ているのは統計から見ても正しいが、何故支持を得ているかが問題だ。自衛隊が災害の時に助けてくれるから支持している。これは実感だろうと思うと同時に自民党も国民の支持は災害活動だと考えている。それなら自衛隊を災害活動救助隊にして明記すればよいとすると理屈は通る。だが、絶対にそうはしない。真の狙いはアメリカと一緒に戦争をする部隊として自衛隊を存在させたいからだ。ところが、その部隊が国民の支持を得ているかというと、よく分からないということになる。自衛隊を明記するとアメリカと一緒に戦争が出来る自衛隊に憲法上のコントロールが出来なくなる。今は憲法が国家権力に軍隊を持たないという強制力をかけているので、政府は、自衛隊は軍隊ではないと言い訳をせざるを得ない。自衛隊を憲法に明記した瞬間に自衛隊だけは例外になる。9条2項を残しながら自衛隊を明記すると、例外的な憲法上許された部隊ということになる。その時憲法に自衛隊はこういう組織だと書かないと自衛隊の権限範囲が分からなくなり、自衛隊には憲法上のコントロールを効かせるつもりはないということになる。自衛隊は既に立派な軍隊で、安保法制が成立した後は質的に変わっている。例えば、無理やり上陸して陸戦をする米軍海兵隊に相当する部隊を作っている。専守防衛ならそんな機能は必要がない。長距離ミサイルも専守防衛なら必要がない。そんな自衛隊を憲法に書き、文句を言わせないという話になる。そうすると最早や自衛隊は憲法違反というのは説得力を持たなくなる。そもそも何故憲法はあるのか、その憲法の中に戦争放棄の規定が取り込まれているのか、その理屈の部分から解きほぐしていかないと説得力がなくなる。
 憲法はライオンを入れておく檻だ。一方で改憲論が複雑化し、情報を国民に正しく提供しないうちに何でもやってしまうという政治手法が主流になってきている。私たちは何が起こっているのかをきちんと見抜く力を付けないといけないが、まだ、その力が足りないので、維新が増えたのだと思う。維新に投票した人は自民党を変えてくれるという意識かもしれないが、全くそんなことはない。だから真実に基づいて合理的、理性的に判断する有権者を九条の会が作る必要があると思う。(おわり)

    --------------------------------------------------------------------

【九条噺】

 「ジェンダー平等」が叫ばれている。「ジェンダー」とは生物学的な性別に対して、社会的・文的につくられる性別のことを指すという。「ジェンダー平等」とは「男女平等」「男女同権」「多様性の尊重」だが、言葉だけでなく、もっと具体的・強力な改善策推進が必要だ▼戦前、女性は参政権がなく様々な犠牲を強いられてきた。その犠牲は今も形を変えて継続している。女性の多くが低賃金の非正規雇用で働き、コロナ禍の中、多くの女性が仕事を失っている。女性の賃金は男性の7割、生涯賃金は1億円近い格差になると言われる▼保育や介護など女性が多く働くケア労働は、高度な専門性を持つ仕事なのに、低賃金が当り前にされ、女性ばかりにしわ寄せされている▼最近「生理の貧困」も指摘されている。スコットランドでは昨年11月に生理用品が無償化されたそうだ。日本でも無償配布する自治体もあるが、トイレットペーパーのように永続的に女子トイレに無償設置しなければダメだろう▼選択的夫婦別姓もそうだ。女性の結婚時の改姓は96%だそうだ。自民党の反対派は「家族の絆が壊れ、子どもに悪影響が及ぶ」などと言うが、同姓にしないと何故家族の絆が壊れるのか。時代錯誤も甚だしい。同姓にしたい夫婦は同姓にすればよいだけの話ではないのか▼自民党は反対派議員を抱え、選択的夫婦別姓も同性婚もLGBT差別反対法も全て阻止してきた。もういいかげんに実現しなければならない。(南)

    --------------------------------------------------------------------

第9回「平和を願う町民のつどい」開催
みなべ「九条の会」




 12月5日、みなべ「九条の会」は第9回「平和を願う町民のつどい」を32名が参加して南部公民館で開催しました。これは2年に一度、みなべ「九条の会」の総会を兼ねて開いているものです。みなべ町からは、町長の代理として井戸教育長が参加され、来賓ご祝辞をいただきました。
 記念講演は、和歌山信愛女子短期大学副学長・伊藤宏氏を講師に迎え、「ゴジラ! 反戦・反核への決意! 平和憲法と歩み続けた67年」と題して講演をしていただきました。
 「ゴジラ」といえば怪獣映画・娯楽映画と思っていましたが、講演を聞き、その考えはすっかり変わりました。
 「ゴジラ」が初めて上映されたのは1954年の11月3日・文化の日。日本国憲法公布の記念日でもあります。映画制作者の平和を祈念する文化の日に上映したいとの強い意志があったそうです。広島・長崎に原爆が投下され、ビキニ環礁での第五福竜丸の被曝という中で、「ゴジラ」には反戦・反核の強いメッセージが込められていました。
 核開発競争は、「力対力」となり、相手を上まわる力と多くの資金が必要です。中国や北朝鮮の脅威が言われますが、日本国憲法に則った政策を進めていくことこそ、最大の防衛になる。多大な防衛予算を他にまわせば、国民の暮らしは豊かになっていくと、指摘されました。
 総会では総括と新しい方針を確認し、この2年間の重大な時期の運動について共通認識を持つことが出来ました。(事務局長・井戸保さんより)



    ―――――――――――――――――――――――――――――
(2021年12月13日入力)
[トップページ]