2008年11月30日(日)午後、和歌山市の屋形町カトリック教会・信徒会館ホールで、「第13回『キリスト者9条ネット和歌山』の集い」が開かれ、キリスト者ら約40名が参加しました。若い人も多く参加しているのが特徴でした。 ☆
9条の運動をしている基礎には、「人間が大事(人間の尊厳)」がある。それは信条が違う人とも共通するものだ。たとえば良寛は、身売りなど過酷な運命が待つ少女たちのために何もできなくてもせめて手毬をついて遊んで慰めた。新渡戸稲造は「私は市民である。日本だけでなく世界の市民である」と第2次大戦に向かう世相の中で世界平和のために貢献した。宮沢賢治は仏教者だが「皆が幸せにならない限り、私の幸せは無い」と言った。政権が人間の尊厳をないがしろにしないように規制するのが憲法だ。 現在、そうした共通善の到達点として人類は「世界人権宣言」を手にしている。国際司法裁判所に人道への罪を犯した個人を訴追でき、無防備都市への攻撃も訴追できるという国際条約もできている。 このような国家間の約束も大切だが、人間の尊厳を守るには個人が主体的選択として弱者の立場に立つことが重要だ。 ☆
などのお話でした。第2部は、松浦司教のお話をめぐって感想や意見を交換しました。ホームレス援助など他の活動や人間関係などで9条のことがおろそかになっていたが9条は大事だと思ったという率直な感想や、誘われて9条の勉強をし家族に話す中で周囲に広がっているという報告、世界には装甲車など慣れっこになっている現実もあるとの意見も出ました。 松浦司教がこれについて、武器や戦争が身の回りにあるばあいでも、向かう目標を非暴力におく点で一致したいと述べられました。 続いて、次回予告、閉会の祈りで終わりました。 キリスト者の9条の集いには初めての参加で、いろいろな考え方に刺激を受けました。若い人たちのまじめな姿勢に感銘を受けました。松浦司教はフィリピンなど海外や国内各地に出かけておられる方なのでエピソードをまじえながらの分かりやすいお話に引き込まれました。 (柏原) | |
(2008年12月1日)
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