安倍首相「改憲」の姿をむき出しに

 安倍首相が参院選に向けて、「やりたいことをやって国民の審判を仰ぎたい」と改憲を前面に立て、国民投票法案を最優先する方針に転じました。マスコミでも大きく扱っています。
戦争できる国を目指した9条改憲のための「国民投票法(改憲手続き法)」を押し返す、大きな運動が求められています。

[07年3月3日 柏原]

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首相「改憲」あらわ

 安倍首相が変身した。「タ力派」イメージの払拭(ふっしょく)のために続けてきた持論の封印を解き、与党との関係にも変化が見え始める。07年度予算案が衆院予算委員会で可決された2日には、憲法改正手続きを定めた国民投票法案の会期内成立を最優先する方針を固め、与党も首相の意向を追認する構えだ。参院選に向け、「やりたいことをやって国民の審判を仰ぎたい」――とらわれてきた「小泉路線」からも距離を置き、保守理念の実現にこだわる首相の本来の姿がむき出しになってきた。

封印解いて「審判仰ぐ」
国民投票法案を優先

 「(憲法)改正手続きを定めるのは「まさに国会議員としての責任を果たすことではないか。60年間放置されてきた責任をしっかりと果たしていかなければならない」
 首相は1日の衆院予算委で、こう力説した。自民党に憲法記念日までに国民投票法案を成立させるよう指示した首相にとって政府予算の早期成立は至上命題。2日の予算委で予算案の採決を強行したのも国民投票法案審議日程を確保するためだった。
 1月24日〜、首相官邸。支持率低下に悩む首相は、改憲派の大先輩として敬う中曽根元首相を昼食に招いた。中曽根氏は「『自分はこの仕事をしたい』という熱情が国民に届くかどうかだ」と助言。安倍首相は「教育と憲法を自分の大きな仕事として考えている」と応じた。
 昨年9月の首相就任から「参院選まではやりたいことができなくても仕方ない」と周辺に漏らしていた首相が、このころから変り始める。
 記者団にも「支持率を回復させようという気持ちで政治をやっていては正しい政治はできない」と言い切り、当初は「キレないように」と気を使った国会答弁でも時に声を荒げて反論した。
 首相は就任以来、対与党などの関係で穏健な「調整型」を演じたが「顔が見えない」と批判された。支持率下落と反比例するように首相が傾いたのは「我を通す」ことだった。
郵政民営化法案に反対して落選した衛藤晟一・前衆院議員の復党問題では、ためらう中川秀直自民党幹事長に手続きを進めるよう指示。「小泉改革」や幹事長からも距離を置く姿勢を見せた。首相周辺は「幹事長は首相のことがわかっていない。首相の関心は国のあり方や弱者救済策にあり、幹事長が唱える経政策『上げ潮路線』には興味がない」と明かす。
 だが、統一地方選や参院選を控え、国民生活重視の政策に力を入れたい与党側と、国家像の再構築を目指す首相に溝ができるのは必至だ。それでも首相が我を通すのは、何もせずに参院選後に退陣に追い込まれれば悔いを残すとの思いからだ。
 「安倍政権ができたらテーマは当然、憲法改になる」。4年前、官房副長官だった首相は周辺にこう語り、祖父・故岸信介元首相のの悲願に思いをはせた。憲法改正を軸とした政界再編も視野に入れ、民主党の前原誠司前代表らとも交流を温めていた。
 そんな首相は「憲法改正の道筋をつけた首相」として足跡を刻みたいとの思いを強めているようだ。政府関係者は「最近の首相は父・晋太郎氏より岸信介氏に近付いてきた」。だが、憲法9条改正を警戒する公明党幹部からは「指導力とは上手に人を使うことだ。人を驚かせることではない」といった不満も漏れる。首相の変身が起死回生につながるのか、れとも自滅に向かうのか。その答えは統一地方選、参院選と続く政治決戦に委ねられる。
(朝日新聞2007年3月3日)

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(2007年3月3日入力)
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