防衛省法案に「朝日新聞」が社説(6月10日)

 政府の6月9日「防衛省昇格法案」国会提出に対して、10日の「朝日新聞」社説は、平和国家の理念にかかわる重大な問題を問題の多い内容にまとめ、しかも国会会期末に提出したことを批判しています。以下に引用します。

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「防衛省」 看板だけの話ではない

 防衛庁を「省」に昇格させる法案を政府が国会に提出した。同時に、国連平和維持活動やイラク派遣などの海外活動を、国土防衛や災害派遣と並ぶ自衛隊の「本来任務」とする自衛隊法の改正案もセットになっている。

 省への名前の変更は、防衛庁の長年の悲願である。

 外務省や財務省などの独立した「省」と比べ、内閣府の外局である「庁」は格下のような印象がある。外国に説明するときも、どうにも体裁が悪い。そうした居心地の悪さが昇格論の底流にある。組織としての威信や士気が高まることが最大の狙いとも言われる。

 たかが名前の変更ならば、目くじらを立てることもあるまい。省になっても、行政権限が大きく変わるわけではない。そんな声も聞こえてくる。しかし、これは単なる看板の掛け替えとは違う。自衛隊を政治の中にどう位置づけるか、戦後日本の「軍事」に対する基本的な姿勢にかかわることだからだ。

 自衛隊は、朝鮮戦争が起きた1950年に警察予備隊として始まり、保安隊を経て54年に現在の形になった。52年に総理府の外局として保安庁が設置され、自衛隊発足とともに防衛庁に模様替えして今に至る。

 憲法9条は戦力不保持の原則を掲げる。一方、米国からは再軍備への圧力がかかり、軍事的な負担の肩代わりを求める要請が続いた。その板挟みの中で半世紀の間、自衛隊も防衛庁も歩んできた。

 いまや世界有数の装備を持つ自衛隊だが、厳しい制約を課して普通の軍隊とは違うことを明確にしたからこそ、国民や国際社会に受け入れられてきた。防衛を担当する役所を「省」ではなく「庁」としてきたのも、軍事力を抑制的に考える戦後日本の姿勢を反映したものだ。

 それを「省」に昇格すべきだというのならば、そうした歴史への総括がなければならない。平和国家としての理念にもかかわる大きな枠組みの議論が必要なのではないか。

 海外任務の本来任務化も、その対象はスマトラ沖地震の際の救援など国際緊急援助隊の活動から、イラク特措法による戦地への派遣まで幅広い。あまりに乱暴なくくり方だ。まして省昇格法案とセットにするような問題ではあるまい。

 自民党国防族には、今回の法案を憲法改正へのステップと考える見方もある。自民党の新憲法草案は、自衛隊を自衛軍と改めるとうたっている。改憲の見通しが開けない中で、巨大与党の力だけでできることは一足先に通してしまいたいということなのだろうか。それが「省」に込められた意味に見える。

 米軍再編に絡んで日米の同盟関係は「新たな段階」に入る、と政府はいう。基本的な防衛政策のあり方がこれから問われるときに、役所の名称変更などの次元で議論を進めるのはおかしい。政権が代わる直前に、それも会期末になって駆け込みで提案するような話ではない。

朝日新聞 2006年6月10日(土) 社説

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(2006年6月10日入力)
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