全国版1面で「学校元管理職6割超賛同・和歌山」報じる(2007年2月5日)

 和歌山県下の小学校、中学校、養護学校の元校長や元教頭など976人が「九条の会」アピールに賛同し、賛同数が元管理職の人の6割を超えた、と「しんぶん赤旗」のシリーズ「9条の国で・過半数世論めざし」2月5日付けで全国に報じました。記事は全国版1面と3面に掲載されました。ユニークで感動的な取り組みでありインパクトがあるので以下に引用紹介します。


写真:意見広告を手にする田辺西牟婁の
元管理職の人たち


写真:元管理職に賛同を呼びかけた人たち
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条の国で
学校管理職 6割超賛同  【和歌山】

     「あの先生もあの先生も賛同してくれた」―。和歌山県では、小・中学校、障害児学校の元校長や元教頭など976人が、作家の大江健三郎さんら9人が呼びかけた、憲法改悪に反対し9条を守ろうとの「九条の会」アピールに賛同しています。賛同数は元管理職だった人の6割を超えました。   (内野健太郎)

 子どもも先生も大事にせな

 「みなさんから、勇気をもらいました」と、顔をほころばせるのは和歌山市で市立小学校の校長をつとめてきた木下和久さん(65)。運動をすすめてきた中心メンバーです。
「こたえてくれるやろかと思った元教育長が『職柄(運動の)先頭には立てませんが』と賛同してくれたり、『賛同はようせんけど』と切手1200円分を送ってくれた人もいます」と木下さん。  賛否を問う文書につけた一言欄には、さまざまな思いがつづられていました。「大正生まれ」という元小学校長は、「自分の一生で一番うれしかった事は何かと聞かれたら、迷わず『終戦になり、家に帰れた事です』と答えます」。軍隊では遺書を書いて提出するよう命じられていました。
 元中学校長は、「背中にどんと気合いを入れてもらったようだ」と呼びかけられたことへの喜びを書いていました。
和歌山市の元校長の女性(63)は、「あはれなるもの」という一文を送ってくれました。「あはれなるもの亡き義父の、レイテ島にて戦死した、純粋な心根の末弟」で始まる文章は、若者が出征前にそっと仏壇の引き出しに残していった遺書についてつづり、こんな世が二度とこないよう「非力なる我」にもなにかできることがあるに違いないと結んでいました。
 その元校長が語ります。「遺書はいまでも大事に保管されていて、手にとるといろんな思いにかられます。二十歳半ばで死を覚悟した若者。その純粋さ〃をつくりだしたんは教育やったんやなと」
 元校長の父も教員でした。徴兵され、シベリアに抑留されました。90歳のいまも「二度と戦争はいやや」というのが口癖です。
 「私も教師時代、予どもたち、お母さんたちとすいとんをつくりながら『戦争中はこんなん食べてたんやで』と伝えてきました。管理職としては、子どもも先生もー人ひとりが大事にされなあかんと学校運営をしてきました。これも憲法の精神やと思います。賛同の呼びかけがあったと き、これは大事な問題やと思ったんです」

"憲法への強い思い実感"

 戦争の教育くり返さぬ

 運動が始まったのは一年半前の2005年7月。県内各地の地域「九条の会」で活動していた元管理職ら20人近くが集まりました。「元管理職がこぞって9条を守れと声をあげたらすごい社会的インパクトがあるで」と話しあったことがきっかけでした。

 戦争体験を共有

 入院中や住所変更などで連絡のとれなかった人もいますが、元管理職1598人すべてに賛同をよびかけました。
 那賀地方では、呼びかけ文を郵送した後、一軒一軒訪ねて返事をもらいました。訪問を計画した日には予想を超える15、6人の顔がそろいました。賛同呼びかけ人の亀田忠彦さん(64)は語ります。「二人一組で訪ねると『これは大事なもんやから』とたんすにしまってくれていた人もいました。私自身も戦争のために戦後、本当に苦労しました。呼びかける方も、呼びかけられる方も憲法への強い思いがあると実感しました」
 同じ那賀地方の賛同呼びかけ人の一人、阪中重良さん(67)は、「元管理職は、戦争や戦後の苦しかった時代を体験した世代。新憲法と教育基本法のもとで平和な社会を担う主権者になっ てほしいと、子どもたちの成長に情熱を注いできた人たちです。必ず呼びかけにこたえてくれると信じていました」と語ります。
 募金も予想以上に集まり、九条の会の講演会のお知らせを再郵送し、結びつきを深めています。
 田辺・西牟婁地方では219人の賛同を得ました。116人が氏名を公表し06年4月、「私たちは『九条の会』アピールに賛同します」との意見広告を地元紙紀伊民報に掲載しました。
 意見広告の呼びかけ人代表となった矢倉優さん(76)は、「戦後、新しい憲法のもとで、私が学んでいた旧制中学のクラスも自由と活気に満ちていました。自主的な生徒会が活動を始め、政治問題を研究する文化サークルも活発でした」と振り返ります。そのときの恩師とは後々まで文通し「教育は少年のいいところを引き出し育てることだ」と教え続けられました。「この憲法のどこが時代に合わないというのでしょうか」と語ります。
 賛同呼びかけ人の木下延秀さん(74)は、教育勅語や歴代の天皇の名前を体罰も伴いながら暗記させた教師たちが、終戦で態度を豹変(ひょうへん)させたことに「先生ら信用できん」「ぼくらにうそを教えた」と不信にかられました。しかし、戦後、選挙で村長が選ばれ、村をあげての学校づくりがすすむなかで自らも教員の道を選びました。自分が戦争中に受けたような教育をくりかえさせてはならないと語ります。

 種芽吹かせたい

 賛同呼びかけ人の和田寿彦さん(64)が力をこめます。「私たちの世代は、戦争を体験した先輩教師たちにさまざまなことを教えられてきました。その先輩教師たちの熱い思いは変わっていない。9条は守れると自信がわきました。地域の九条の会では戦争体験も語り継いでいます。まいてきた9条守れの種を芽吹かせたい」

(「しんぶん赤旗」2007年2月5日。1面・3面)
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(2007年2月12日入力)
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