和歌山大学教職員組合は,教育基本法の改悪に反対します

 現在,国会では教育基本法の改定が審議されています。私たち和歌山大学教職員組合は,審議されている改定案の内容・審議の進め方に強い危惧を感じ,抗議するとともに,同法の改定に反対する声明を,ここに採択します。

 教育基本法は,戦前・戦中の日本の軍国主義・国家主義を成り立たせる上で,教育が大きな役割を果たしたことを自覚し,このことを真摯に反省するとともに,戦後日本の教育のあり方を,新憲法の示す理念を実現する方向で定めたものです。
 制定から五九年の歳月が経過した現在でも,教育を時々の政府による政策の道具としてはならないこと,教育の力によって再び戦争の惨禍が引き起こされることがあってはならないこと,他方で,社会階層や家庭の経済力の差によって教育を受ける権利に差が生じてはならず,公的責任において教育機会の十分な整備・提供が行われるべきこと,これらは全く変わらない理念です。

 しかし,政府の改定案では,これらの理念そのものがなしくずしにされようとしています。
 改定案では,まず前文において,憲法への言及が弱められるとともに,「公共の精神」「伝統の継承」といったことが盛り込まれています。「公共」「伝統」といったことそれ自体は望ましいことかも知れませんが,他方でこれらの言葉は個人の権利を抑制し,新しい理想の追求を牽制するためにもしばしば用いられてきたものであり,具体的な意味合いを示さないまま,教育に関する根本法規の前文に置くことには違和感を覚えます。
 第二条では,現行法が「教育の方針」として大まかな方向性を示すのに留まっているのに対し,「教育の目標」として具体的「徳目」を列挙しています。その中には「我が国と郷土を愛する…態度を養う」ことが盛り込まれています。
 第五条「義務教育」では義務教育の年限(現行法は九年と規定)をはずし,下位法にゆだねており,第一〇条「家庭教育」(新設)では「父母…は,子の教育について第一義的責任を有する」との規定をおき,国の教育条件整備義務を流動的で曖昧なものに後退させています。
 第一六条「教育行政」(現行法第一〇条)では,教育が「不当な支配に服することなく」という文言は残されていますが,現行法が「国民全体に直接責任を負って行われるべき」としているのに対し,「…法律の定めるところにより行われるべき」と改めています。家永教科書裁判をはじめ,戦後に行われた複数の教育裁判のなかで,政府の行う行為が本条の「不当な支配」にあたるか否かが争点になってきました。そもそも教育基本法の立法過程ではこの文言が「不当な政治的支配」であったことから考えても,政府による介入を懸念しておかれたのが本来の法の趣旨と考えるべきです。これらのことからしても,この一文の差し替えは今後の教育のあり方にきわめて重大な影響を与えるものと考えられます。

 以上のように,改定案は,現行法の理念を否定し,教育に対する国家の介入を強める一方で,条件整備義務は弱めるという,明らかに危険な方向を向いたものです。
 私たち,和歌山大学教職員組合は,教育に携わるものとして,こうした方向の教育基本法改定は「改悪」にほかならないと判断し,これに強く反対するものです。

二〇〇六年五月三〇日
和歌山大学教職員組合 第六三回定期大会

2006年6月1日 記者発表
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(2006年6月7日入力 8日修正)
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