朝日新聞 2015年3月21日

安保法制の与党合意―際限なき拡大に反対する

 自民、公明両党による与党協議がきのう、安保法制の基本方針を正式合意した。
 日本の安保政策を根底から組み替えるような内容だ。
 少人数の与党議員が集まって1カ月余り。驚くばかりのスピードである。4月の統一地方選への影響を避け、安倍首相の訪米に間に合わせるため、結論を急いだのだろう。はじめに日程ありきの印象は否めない。
 昨年7月の閣議決定で、安倍政権は歴代内閣の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認に踏み切った。日本の存立が脅かされるなど一定の要件に合致すれば、他国への武力攻撃に対して自衛隊が武力で反撃できるようにする。その法制化に向けて、与党が大きな一歩を踏み出したことになる。
 集団的自衛権の問題だけではない。これまで自衛隊は海外の紛争に一定の距離をとり、抑制的な対応をとってきた。合意はその縛りを解き、世界規模の派遣拡大に道を開く内容だ。
 底流には、米軍の負担を自衛隊が肩代わりする際限のない拡大志向がある。
 断じて、容認できない。
■無理を重ねた末に
 米軍への協力のグローバル化は「日本と極東の平和と安全の維持」という日米安保条約の目的から逸脱する恐れがある。
 安保法制の柱の一つである周辺事態法は、事実上の地理的制約を課してきたが、与党は「周辺」を抜く改正をはかる。
 「極東条項」と呼ばれる安保条約6条は、かねて自衛隊の対米支援の実態との整合性が問われてきた。本来なら条約の改定が必要になるが、外務省は「政治的なコストが高い」と拡大解釈を重ねてきた。
 憲法の制約も安保条約の枠も踏み越えて、政府与党はどこまで米軍協力を拡大するつもりなのか。そこが不明確である限り不安が解消されることはない。
 今春にも改定される「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)は、それを示す日米の政策合意となる。
 だが、そのための日米交渉で奇妙な事態が起きている。
 新ガイドラインには集団的自衛権の行使容認に伴う武力行使の新3要件を明記するが、日本政府の働きかけで「集団的自衛権」という言葉を書き込まない方向になっているのだ。
 米国が「自分たちと同じことを日本ができるようになった」と誤解しないようにするという。国内では「集団的自衛権の行使を容認した」としながら、米国には「あなたのいう集団的自衛権ではない」。憲法解釈の無理な変更が生み出した、ひずみと言うほかない。
■イラク戦争の反省は
 根拠があいまいなまま自衛隊員を戦地に送り出すことは許されない。
 思い起こされるのは、12年前のきのう開戦したイラク戦争である。「大量破壊兵器がある」という米国を、日本は支持し、特別措置法を成立させて自衛隊を派遣した。
 大量破壊兵器は発見されなかった。米国情報をうのみにして追従したとの批判は免れない。誤った戦争に加担した経過も、いまだ検証されていない。しかも今度は特別措置法ではなく、いつでも派遣できる恒久法をめざしている。
 与党合意では自衛隊派遣の歯止めとして「国会の事前承認を基本とする」とされた。それは当然としても、実効性が保たれるか、はなはだ疑わしい。特定秘密保護法が施行された今、国民や国会議員に十分な判断材料が示される保証はない。
 イラク戦争のときは武力行使を明確に容認する国連安保理決議もなかった。国際社会が結束せず、国民の幅広い理解が得られないような状況での自衛隊派遣は、禍根を残すことになりかねない。
■抑止力強化の限界
 安倍首相が強調するのは「抑止力」という言葉である。それによって「国民の命と幸せな暮らしを守っていく」という。
 しかし、抑止力の強化だけが日本の平和を守るための方策なのだろうか。  中国の軍事的な脅威に備える必要はあろう。といって世界規模の米軍支援に踏み出すとなると、話は違ってくる。
 抑止力への傾斜が過ぎれば反作用も出る。脅威自体を減らし紛争を回避する努力が先になされなければならない。
 安全保障は軍事だけでは成り立たない。自衛隊ができることにも限りがある。国際テロ対策にいたっては、抑止力がきかない難題でもある。
 肝要なのは、憲法と日米安保条約を両立させながら、近隣諸国との安定した関係構築をはかることだ。国際社会の懸念を招かないよう、成熟した外交姿勢が求められる。
 戦後日本が培ってきた平和国家のブランドを失いかねない道に踏み込むことが、ほんとうに日本の平和を守ることになるのか。考え直すべきだ。