愛媛新聞 社説 2014年02月17日

集団的自衛権憲法解釈 突出した首相答弁を危惧する

 集団的自衛権の行使容認をめぐる国会論戦で、安倍晋三首相の答弁の突出ぶりが際立っている。新たな解釈による行使は「政府判断で可能」と言明したと思ったら、今度は「(政府の)最高責任者は法制局長官ではない。私が責任を持つ」と踏み込んだ。
 憲法解釈は首相が望めば変えられると受け取れる。「集団的自衛権は有するが、行使はできない」―現行の政府解釈が内閣法制局を中心に積み上げられたことを意識し、法制局の見解にかかわらず見直す決意の表れとも映る。猛省を求めたい。
 国家が権力を行使する際に憲法に縛られる「立憲主義」への理解を疑う。憲法に縛られるはずの政府が解釈を思いのままに変えられるとするなら、立憲主義の否定にほかなるまい。
 安倍首相は「憲法が国家を縛るのは、王権が絶対権力を持っていた時代の考え方」とも述べていた。立憲主義は過去の遺物とでも言わんばかりの姿勢に危機感が募る。
 内閣法制局は時の政権と距離を置き、専門的見地からチェック機能を果たす。「法の番人」と呼ばれるゆえんだ。歴代の内閣は解釈を尊重、継承してきた。現行の解釈は専守防衛を旨とするわが国の平和主義を支え、国際的信頼を得ている。身勝手な見直しは歴代内閣への背信に等しい。
 集団的自衛権は、関係を密にする同盟国などが武力攻撃を受けた場合、自国への攻撃とみなして実力で阻止する権利。国連憲章は、主権国固有の権利と定めている。
 政府は中国の海洋進出や北朝鮮の核開発などを念頭に、東アジアの安全保障環境の変化を解釈見直しの理由に挙げる。だからこそ慎重に、粘り強く、中国や韓国との関係改善の努力を重ねたい。見直しを強行すれば、周辺国をいたずらに刺激し、国際社会の信頼失墜を招くだけだ。
 首相答弁には、野党はもちろん身内の自民党も苦言を呈する。当然だ。行使容認は「戦争ができる国」への安保政策の大転換を意味する。本来、憲法解釈の見直しで済む問題ではなく、ましてや首相の一存で決めていいはずがない。
 政府は解釈見直しの是非を国会で議論することに否定的だ。まず結論を出し、野党との議論や国民への説明は関連法整備の段階に後回し。そんな本末転倒な手法は認められないと念を押しておきたい。
 先月下旬に実施した共同通信の世論調査では、憲法解釈見直しによる集団的自衛権の行使容認に53%が反対し、賛成の37%を上回った。
 政府は通常国会会期内の結論を視野に入れるが、急いではなるまい。何より、見直しの必然性に国民の理解は得られていない。政府は重く受け止める必要があろう。