毎日新聞社説 2014年7月1日 02時30分(最終更新 07月01日 06時04分)
集団的自衛権 閣議決定に反対する
安倍政権は1日、集団的自衛権の行使容認を柱とする憲法解釈変更を閣議決定する。
憲法は、アジアや日本でおびただしい数の犠牲者を出した戦争の反省から、9条で海外での武力行使を禁じてきた。閣議決定は、その憲法9条を根幹から変え、「自衛の措置」の名のもと自衛隊の海外での武力行使を認めることを意味する。国のかたちまで変えてしまいかねない、戦後の安全保障政策の大転換だ。
これは解釈変更による憲法9条の改正だ。このような解釈改憲は認められない。私たちは閣議決定に反対する。
◇解釈改憲は認められぬ
安倍政権がこれほどの転換をするのなら、一内閣の判断でできる閣議決定ではなく、憲法9条改正を国民に問うべきだ。
そもそも、なぜいま集団的自衛権の行使容認が必要なのか。自衛隊員はじめ国民の命に関わる問題であり、安倍政権にはまずしっかりした理由の説明が求められたはずだ。
だが、安倍晋三首相は、安全保障環境の変化で国民の命と暮らしを守るため、集団的自衛権の行使容認が必要としか言ってこなかった。
なぜその方法が集団的自衛権でなければならないのか。現在の憲法解釈のもと、個別的自衛権の範囲内で安保法制を整備するだけでは足りないのか。そういう疑問への納得できる説明はいまだにない。
政府が与党協議で、集団的自衛権の行使が必要として示した、米艦防護や機雷掃海など8事例の検討は、その答えになるはずだった。
ところが、個別的自衛権や警察権で対応可能という公明党と政府・自民党との溝が埋まらなかったため、与党協議は、事例の検討を途中放棄し、閣議決定になだれ込んだ。性急な議論の背景には、自公両党とも大型選挙のない今のうちに決めたいという党利党略があったとみられる。
沖縄県の尖閣諸島に武装集団が上陸した場合を想定した「グレーゾーン事態」への対応の議論はあっという間に終わった。国連決議にもとづく多国籍軍などへの後方支援の拡大、国連平和維持活動(PKO)参加中の駆けつけ警護の議論も生煮えのまま、閣議決定に盛り込まれる。
安倍政権がやりたかったのは結局、安全保障論議を尽くして地道に政策を積み上げることよりも、首相の持論である「戦後レジーム(体制)からの脱却」を実現するため、集団的自衛権の行使容認という実績を作ることだったのではないか。
昨年末の特定秘密保護法の制定、今春の武器輸出三原則の緩和と合わせて、日米の軍事的一体化を進める狙いもあったとみられる。
これほど重要な問題なのに結論ありきで議論が深まらず、残念だ。
安倍政権は今回の決定は、限定的な行使容認だと強調する。だが実際には歯止めをどう解釈するかは時の政権にゆだねられる仕組みだ。
閣議決定の核となる新たな「自衛の措置としての武力行使の3要件」は、国民の「権利が根底から覆される明白な危険」がある場合に集団的自衛権行使が許されるとしている。
政府の想定問答によれば、新3要件を満たすと判断されれば、集団的自衛権だけでなく、国連の集団安全保障での武力行使もできる。私たちは限定容認論はまやかしに過ぎないと主張してきたが、想定問答がそれを証明している。
◇語られなかったリスク
しかも、限定されるのは行使するケースであり、いったん行使すれば、その先の活動に限定はない。
首相は、集団的自衛権の行使を容認すれば、抑止力が高まり、戦争に巻き込まれなくなるという。
確かに日米同盟が強化されれば、一定の抑止力としての効果はあるだろう。だが逆に地域の緊張を高める懸念や、米国から派兵を求められて断り切れずに不当な戦争に巻き込まれる危険もある。自衛隊員が殺し、殺されるかもしれない。こうしたリスクについても首相は一度も語ろうとしなかった。
憲法解釈変更の根拠にも問題がある。政府は1972年の政府見解の一部を引用し、結論の部分だけを集団的自衛権の行使は「憲法上許されない」から「憲法上許容される」に逆転させた。
政府・自民党は「72年の政府見解の基本的論理の枠内で導いた論理的な帰結」「憲法解釈の適正化であり、解釈改憲ではない」というが、どう説明しようが、これは解釈改憲にほかならない。
日本は冷戦後、安全保障環境の変化に対応するため、PKO協力法、テロ対策特別措置法、イラク復興特別措置法などをその都度制定し、海外での自衛隊の活動を拡大してきた。海外で武力行使はしないという憲法9条の規範性を侵すことなく、日米同盟を強化し、国際貢献する道を模索してきたのだ。
安倍政権は、歴代内閣が踏み越えなかった一線を、たった1カ月余りの議論で、あっさり越えようとしている。行使容認の必要性、歯止め、リスク、法理論のいずれも国民に十分な説明をしないまま、このような安全保障政策の大転換を行うことは到底、納得できない。
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