「九条の会・わかやま」 104号を発行(2009年6月20日付) 104号が6月20日付で発行されました。1面は、加藤周一さん追悼講演会、講演①井上ひさしさん、九条の会7443に、今年の交流集会は地域ごとに、九条噺、2面は、衆院「憲法調査会規程」強行採決、We Love 憲法 浅井基文氏講演③ です。 |
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加藤周一さんの追悼講演会に2千人 ☆
講演会では、よびかけ人の井上ひさし、大江健三郎、奥平康弘、澤地久枝の各氏が講演されました。講演の要旨を「九条の会ニュース」から順次ご紹介します。今回は井上ひさしさん。憲法9条、25条を裏切ることはできない 井上ひさしさん 私は昭和9年、山形県南部の山あいの小さな町に生まれました。昭和19年に、東京の国民学校の4年から6年生約150人が学童疎開でやってきました。私たちの町では一軒一軒が、その一人ひとりの仮親になりました。私の家が仮親を引き受けた少年は、本をたくさん読んでいて、絵も上手で、都会の子どもはすごいなと思っていたのですが、実家のご両親がまず空襲で亡くなります。そして彼自身も3月に、国民学校卒業のためにいったん自宅に帰ったのですが、空襲で死んでしまいました。大変ショックでした。 さて、加藤周一さんの『私にとっての20世紀』(岩波現代文庫)の中に、こういう文章があります。「私が徴兵を受けなかったのは肋膜炎のおかげもあるのですけれど、医者だったからでしょう。若手の医者はどうしても病院に必要でした。学校の同級生や友人はかなり大勢死んでいる。自分はやっと生きのびたけれど、別に理由があって生きのびたわけでなく偶然です。何の理由もなく、私の友人は戦争のために死んでしまった」「私の友だちを殺す理由、殺しを正当化するような理由をそう簡単に見つけることはできない」、「だから戦争反対ということになるのです」 加藤さんは、「彼〔亡くなった友だち〕が決して言わなかったことであろうことを自分が言ったり、彼が黙っていなかったろうことを沈黙したり、ということはしたくないという気持ちが私の中にはある」。たとえば戦争で死んだ彼らは戦争を肯定しない。それを生きのびた自分が肯定してはいけない。「もしそういうことを私がしゃべれば、それは友だちに対する裏切りのような気がするのです」。これからが素晴らしいところです。「国家への忠誠? しかし国家が主張する良し悪しは、10年もすれば逆転します。たとえば15年戦争は聖戦から侵略に変わった」。だから国家に合わせて自分が変わるのは無理だとお考えです。 「これは友人関係と全く違う話です」といいます。本当の友人関係というのは、喧嘩したり、ちょっと離れたりすることはあっても一生変わらないわけです。おそらく生きのびた者よりも、いろんなことがよくできた者が、戦争で誰かの号令で、誰かの道具になって死んでいく。そういう友人を裏切らない。ですから最後の引用になりますが、「私の良し悪しの判断の一つは、裏切りということです。友だちを裏切ることはしたくない」。これに私は少年時代の記憶を重ねて、まったくそのとおりだと思います。そしてこじつけかもしれませんが、この友だちは日本国憲法だと思っています。とくに9条、25条は親友中の親友です。彼らを裏切ることはできない、ということを加藤周一さんのご本から学びました。(表題は編集部)
九条の会7443に
今年の交流集会は地域ごとに
【九条噺】
衆院憲法審査会規程与党強行採決
5月の風に We Love 憲法 |
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☆
日本には3つの条件が備わっている。1つ目は平和憲法。日本国憲法9条は21世紀の人類の進むべき方向を示している。二度と戦争をしない不戦の誓い、戦力を持たない公約。9条は原爆体験に基礎をおいている。国連憲章と日本国憲法の違いは、原爆投下の前に出来た国連憲章と原爆投下を踏まえて出来た日本国憲法の違いだ。国連憲章は平和を守る手段として武力行使の可能性を明確に認めている。広島・長崎の後、もはや戦争は国際問題解決の手段にはなりえないことが明らかになった。人類は核兵器と共存できない。戦争は政治の継続と言われたが、もうそれは成り立たない。それを示しているのが憲法9条だ。どちらも恒久平和を目指す点では一致しているが、達成手段として武力行使を認める国連憲章と、それを一切否定する日本国憲法とは全く違う。国連憲章は力による平和という考えに立つが、日本国憲法は徹底して力によらない平和という考えに立つ。力による平和は暴力だから必然的に人間の尊厳を脅かす。人間の尊厳を根底に据えるなら力による平和はありえない。 | |
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(2009年6月28日入力)
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