「九条の会・わかやま」 105号を発行(2009年6月28日付) 105号が6月28日付で発行されました。1面は、海賊対処法案 再議決成立、「月光の夏」上演 朝日新聞地方版で紹介、九条噺、2面は、加藤周一さん追悼講演会② 大江健三郎さん・奥平康弘さん です。 |
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海賊対処法案、再議決で成立
増え続け、昨年を上回る海賊事件
空襲忘れないで「月光の夏」上演
【九条噺】
6月2日、加藤周一さんを追悼する講演会が開かれ、よびかけ人の井上ひさしさん、大江健三郎さん、奥平康弘さん、澤地久枝さんが講演されました。講演の要旨を「九条の会ニュース」から順次ご紹介しています。今回は2回目で大江健三郎さん、奥平康弘さんです。(見出しは編集部) ☆
東アジアの人たちと信頼をつくるためには、本気で憲法9条を守り、完全に実現すること 大江健三郎 さん 先月の朝日新聞のコラムに、国宝阿修羅展を見に行ったこと、そしてお釈迦様の十大弟子の群像に感銘を受けたと書いたところ、いくつもの反響がありました。すべて加藤周一さんの名をあげてのものでした。私は十大弟子像の、とくに須菩提や羅?羅の像に感銘して、自分がこの50年間に出会ったすぐれた実在の人たちの面影を見出すようだったと書き、文章のタイトルは「知的で静かな悲しみの表現」としました。反響の手紙は、「あなたは加藤周一さんの顔形を見てとったのではないだろうか」といい、その中に、「加藤さんが悲しみを感じられる理由があるだろうか」とありました。 上野からの帰りの電車の中で、私は、あの仏像のような人たち5人ほど、くっきりと思い浮かべました。そしてそれらの人たちは知的で静かな顔形であったけれども、みんな老年になっておられていて悲しみの表情も表されていることも感じられる。そして私はあのように書いたわけです。確かに私があの中のとくに須菩提をみて深い感動の中で考えたのは加藤周一さんの面影と、その生涯のお仕事でした。 日本文学について学びたい方には、『日本文学史序説』をお勧めします。それは万葉集に始まり日本の文学が、どのように出来上がったかを見ます。重要なのは、日本独自のものがあるけれど、外国文化との素晴らしい出会いによって転換期が刻まれ、その転換期を生きた日本の文学者が新しい文学を作ったことを描きだしていることです。 加藤さんは、殆ど最後のお仕事として、NHKテレビで、石川啄木を押し出されました。啄木が1910年前後の時代を「時代閉塞」といい、「我々は一斉にたって、まずこの時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ」という言葉を加藤さんは引用され、この時代の貧困と病気を象徴する肺結核で死んだ啄木の思想的な意味を強く言われました。 加藤さんはこれまでの「九条の会」講演会ではつねに、原理にたちながらも現実状況の細部に即して、世界の、とくに東アジアに起っていることを語られました。多くの方は、おそらく北朝鮮の核実験について加藤さんはどのように話されるか聞きたいと思われたと思います。加藤さんは広島、長崎50年にあたって開かれたパグウォッシュ会議での講演(「加藤周一セレクション」第5巻平凡社ライブラリー)で、会議で検討すべき重要な問題点をあげたうえで、いくつかの障害や障壁について話をされました。それは、核兵器保有国と非保有国のあいだの信頼関係をどのように醸成していくか、とくに核保有国と非保有国との間の不平等、核を保有する国家間の不平等、核弾頭の数の不平等性ということです。 政治権力の側ではなく、私たち市民の側からいいますと、北朝鮮の人々と私たち日本人が本当の信頼をつくるためには、私どもは本気で憲法9条を守り、完全に実現しようとしていることを示すことだと思います。その大道をはっきり示し、それを周辺の国々に、あるいは世界中に認めてもらえるならば、私どもの国と他の核保有国との間の信頼関係を作り出すいちばん大きな条件になると思います。 ☆
「 日本もまんざらではない」と言われた加藤さんを我々が本当に満足させねばならない 奥平康弘 さん 憲法研究者にはそれぞれ専門があります。9条は9条の専門家がいて、自衛隊の分析とか日米安全保障条約のことなどを専門に研究しています。ぼくは違うことをやっていて、なかなか9条に近づかなかった。ぼくを近づけさせたのは、90年代以降の憲法をめぐる状況の変化です。それは憲法9条の戦力不保持の問題だけではなく、自衛隊がどのように機能するか、という今までなかった議論が出てきたからです。湾岸戦争のなかで、自衛隊を海外に派遣することと憲法9条の関係が論議され、今世紀に入ると、集団的自衛権の行使が憲法の解釈によってできるという話になってきた。個別的自衛権の範囲内でこぢんまりとやっていくという議論は吹っ飛んでしまう。集団的自衛権で他のどこかの国と結びつけば青天井になって、なんでもできるようになる。装備はもちろん、それに応じた機能を果たすことになる。それを憲法の解釈でできるという話に展開していくのが、90年代の終わりから今世紀に入ってからの情勢です。 文字として書かれている9条は、一定の重要な役割を果たすことは間違いない。そしてきちんとした解釈が確立されるべきです。同時に、この2、3年の動きの中から見ても、9条は日本の問題、日本国憲法の問題であったのが、世界に向けて語られるようになった。そのようなかで、「九条の会」が出来たわけです。それが大きな支持を得て、ぼく自身も驚くくらい組織が着実にのびていると思います。 「民芸」のお芝居に、加藤先生とボクがたまたま招待されて、椅子を並べて観劇しました。ぼくたちが見たのは木下順二の「審判」という、東京国際裁判を題材としたものでした。田母神さんという人がいますが、あの人は東京裁判を全くボロクソにやっつけていますが、しかし問題は単純ではない。例えば、あれは連合国が行った裁判ですが、権力はどこからくるのか、これを裁判長がもつということは、どこからどのようにして出てくるのかという問題があります。さらに人類に対する罪というけれど、それは昔からあったのか、そういう問題が混然としてある訳です。ところが田母神さんにいわせるとスカッといってしまう。本来難しい問題を、皆さんに食いつき易いようにしてばらまくということは、大衆政治家のやることですが、それを彼はいたるところでやっています。 ところで芝居を見た後で、加藤先生は、「こんなに難しい芝居をこんなにたくさんの人が見に来てくれるんだねえ」と、感慨深げにおっしゃいました。実際、芝居は難しいです。それを満杯になるほど見にきてくれたということです。その時は気がつかなかったけれど、後で考えたら、「だから日本の将来はまんざらではないよ」ということだったのだと思います。「まんざらではないよ」と一安心された加藤先生を本当に満足させるように、われわれはすべきではないかと思います。 | |
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(2009年7月5日入力)
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