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【九条噺】
永田町は例によって首相が辞める辞めないのという騒ぎで、外国からも「国民は一級だが政治は三流」などと揶揄される始末。懸案の普天間移設問題も依然先行きがみえない。先頃北沢防衛大臣が沖縄県庁を訪れ、「辺野古案」と新型輸送機オスプレイの配置を通告したが、県知事にも「絵空事だ」といなされた。もっとも、大臣自らも「実現できるわけがない」と断言していたぐらいだから、アメリカ向けの単なるポーズかも▼大震災の前にはケビン・メア米国務省日本部長の「舌禍事件」もあった。同部長は「沖縄の人はごまかしとゆすりの名人」であり「怠惰でゴーヤーも栽培できない」などと、沖縄の人々をひどく貶め、また「問題の基地はもともと水田地帯にあったが、沖縄がその施設を囲むように都市化と人口増を許したからだ」などと、強奪に等しい戦後の土地収用を正当化、さらに沖縄の基地は軍事的に重要な位置にあり、その高額な経費(「思いやり予算」)まで日本政府が負担して「米軍は日本で非常に得な取引をしている」とも発言した▼これにはさすがの米政府もあわてたのか、早々と部長を更迭した。当面する移設案件への悪影響も懸念して、その対応を急いだのであろう。そして日米両政府は21日に話し合い、辺野古への移設で合意した。しかし、両政府の思惑はどうあれ、普天間基地撤去を求める県民の総意は変わらず、固い決意も揺るぎそうもない。(佐)
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「九条の会」7周年への呼びかけ人のメッセージ
ともに生きる仲間 (鶴見俊輔さん)
九条の会の発起人の人選に、私はかかわっていません。ある日、電話がかかって、こういう会をはじめるが、その発起人になってくれませんか、ということで、即座になりますと答えました。
発起人の会に行くと、そこではじめて9人の顔合わせがありました。
そのうち3人は亡くなりました。加藤周一、小田実、井上ひさしです。
亡くなった人の仕事を読み返して、こういう人たちをよくぞ選んだと思います。
はじめて読んだ井上ひさしの『日本語教室』には、言語についての理論をよく消化し、自分の言葉で語りなおすところがすごい。小説『吉里吉里人』と通底し、その裏づけの役を果たしているように感じます。
小田実の作品では『オモニ太平記』にほとほと感心しました。かつて彼が開高健と共に書いた『世界カタコト辞典』(1966年)を、一つのところに焦点を定めてくわしく書いた本だと思いました。小田実には、智恵がある。その智恵が、残されたメンバーの肉体の中によみがえってくることを望みます。
そして加藤周一。彼の『日本文学史序説』を読み返すと、日本文学を通して日本思想史を書いた作品として、新しい刺激を受けます。日本思想史を、日本文学史のかたちを借りずに書く道は、あるとは思えません。
ここに、故人と生き残りと、あわせて9人の呼びかけ人から、新しい世代へと声を届けたいです。
世直しのとき(澤地久枝さん)
3月11日、東京の自宅で思ったことは、自然の力の大きさと、人間存在の小ささだった。自然災害は逃れがたい。しかし「戦争」はそうではない。今日までの自分の生き方、選択を思い、ほかに選びようがなかったと改めてつよい気持をもった。
つづけて原発の事故である。チャイナ・シンドロームといわれる炉内溶融をすぐに連想し、子どもたちの集団疎開が必要ではないか、と考えた。しかし、どこへ、いつまで。大津波到達の予想図は、北海道から沖縄まで、それが日本列島なのだ。地震列島の上でいとなむ日本人の生活。いま、「運命共同体」の船に乗り合わせて、この国の姿を根本から変える方向へ舵を切るべく、原点というべきものが日本国憲法だと思う。
戦争放棄の第9条と生存権にかかわる第25条に力をもたせ、それを砦として世の中を変えてゆきたい。まず、全原発廃止の方向を目ざす意思表示から。小田実は「一人からはじめる」と書いたそう。しかし、「一人」ではない。
変革めざす全市民的議論を、いま(奥平康弘さん)
トンデモナイ事態に陥りましたね。でも、考えようによっては、こういう目に遭わなかったならば、私たちは国家社会の変革という契機をつかめないままで、リーマン・ショックから抜け出して旧来秩序に戻し、一等国≠ノ成り果せようと、あらぬ路線にしがみついていたのではないでしょうか(ちなみに、先日、4月28日、超党派「新憲法制定議員同盟」の大会で、「大規模自然災害にも即応出来る憲法をつくろう」というスローガンが付け加えられたという。「憲法を新しくする絶好の機会だ!」とあいさつする政治家もいたという)。
復興、復興と草木もなびく勢いですが、被害≠フ多くは――原発積極策が典型であるように――過去の政治経済の誤算に由来します。過去をきちんと清算しつつ、新しい変革途上にある世界に向けて日本いかにあるべきか、議論を起そうではありませんか。日本国憲法は、全市民が自覚的にこの議論に参加し、おのおの応分の役割り分担を担うよう要請しています。
決意した、ということ(大江健三郎さん)
森のなかの新制中学で、先生が教育基本法を読み上げました(いまの、改正されたものより、文章がずっと良い)。……この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
――よし! と私がいったので、みんな笑い、自分も笑ったものです。
しかし、長い人生の時、私は子どもの自分の声を思い出すことがありました。加藤周一さんから、憲法九条の会を呼びかけないか、と伝言があった時も、――よし!と……
呼びかけた私らの数は少なくなるけれど、会はそれぞれの活動によって、勢いを大きくしています。やがて私も居なくなった時、思い出してもらうきっかけをひとつ、と考えて、憲法前文Aの一節を声に出しておきたい。「……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」、その決意した、というところ。
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当会呼びかけ人・宇江敏勝さん初の短編小説集『山人伝』出版
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