安斎 育郎 氏 A
「癌当りくじ」がめったに当らないなら、さほど恐れる必要はない。当籤確率が気になるが、100ミリシーベルトで癌死亡が0・5%アップするというものだ。現在の日本人の死亡原因の約30%は癌で、1000人の内300人が癌で死ぬところが、305人になる。大したことはないと思う人がいるかもしれないが、放射線は浴びないに越したことはない。世の中には放射線は少し浴びた方がいいという意見もある。「放射線ホルミシス」と言い、学問的にあり得ても、だからと言って、その説を唱える人は孫に毎日放射線を浴びせている訳ではない。同時に癌の危険も背負い込むことは別の科学的研究で主張されている。放射線は浴びない方がいいというのは、世界の放射線防護学者の基本原則だ。
野菜を買うときに汚染されているかもしれない福島県産のものに手が伸びない可能性がある。しかし、それでは失意のどん底にある被災地の生産者は生活が成り立たない。福島県産というだけで買われないとなると、農民の懸命な除染の努力に報いることができない。産地で怖がるのではなく、実態で怖がることが必要だ。産地がどこであれ、放射能が含まれている場合は食べない方がいいが、福島県産であっても放射能が含まれない場合は何も問題がない。土を取り除けば放射能はなくなるので、福島の農民はそれを懸命にやって、安心・安全の野菜を供給しようとしている。その努力には応えてほしい。「過度に恐れず、実態を軽視せず」が、ここ10年、20年は必要だ。福島原発を廃炉にするには50年ぐらいはかかる。原発は中を見ることができない。燃料が溶けて流れて、今どうなっているかが分らない。ファイバースコープで中を見られるようになるだけで10年ぐらいかかる。燃料がシャキっとしていたらクレーンで持ち上げることもできるが、崩れ落ちてぐちゃぐちゃになったものを取り出すには、その装置の開発から始めなければならない。あらかた片付けて、コンクリート詰めにして石棺状態にするには50年ぐらいかかると思わないといけない。セシウム137から出るガンマ線は何百mも飛んで来るので、野山を削り取る必要があるが、それはとてつもなく難しい。しかし、子や孫に安全な環境を残すには10年かかろうが、20年かかろうが、優先順位を決めて削り続け、「癌当りくじ」を片付ける必要がある。
3月11日に原発事故が起ったことを知って、最初に思ったのは、私が原発を推進した訳ではないが、少なくとも半世紀近く原子力の分野に身を置いてきた者としてこういう破局的な事故を防げなかったことに「申し訳ない」と思った。やっと福島に行けたのが、4月16日の71歳の誕生日だった。4月の福島は菜の花、桜、コブシが咲き、日本の古里の原風景みたいで美しかった。放射能は目に見えないから、見た目は美しいが、人っ子一人いない。まさに「透明の恐怖感」が頭に浮かんだ。「見えぬけれどもあるんだよ」とガイガーカウンターは凄まじい音をたてる。だから、3月から「表層土を削り取れ」と言ってきたが、政府はなかなか実行せず、また放射能が降ってくると、住民もなかなか信じてくれなかった。5月に福島市の保育園の土を削る実験をしたら、削れば削るほど放射線のレベルは激減した。後にグランドを全面的に削ったら、運動会をやることも可能になった。その後福島では学校のグランドは一斉に削られたが、削った土を埋める場所が学校によって違う。標準化されていないことが心配だ。行政が規格化してやらないと後の管理ができず危ない。山は難しいが、都市部に近接したところからやらねばならないし、学校・保育園などでは窓側に遮蔽物を置いて防御し、屋上、屋根、雨どい、排水溝などを重点的に洗い流す必要がある。とにかく出来ることを急ぐべきである。食品の放射能汚染は、政府が暫定規制値を決めたが、その基準を徹底的に守らせることが重要だ。基準を下げろという意見もあるが、我々にとっては被曝ゼロが好ましいのだから、我々側からここから安全などという立場にはない。我々は、ひたすらもっと低くならないのかと言い続けるだけだ。日本には放射能の専門家が何千人もいるので、政府が日本学術会議に、放射線の専門家の学会に食品の放射能汚染の分析について協力してもらえるように体制を組めと指示をすればよい。放射能の簡易測定システムをもっと普及させ、スーパーや学校とか保健所に置いて、心配な人はそこに行って測定してもらうということをすればもっと安心の材料になる。その上で健康管理をしっかりやろう。癌は早期に見つければ治すことができる。東北地方の人々は被災者証明書を持っていけば癌検診が無料で受けられる仕組みも立ち上げつつあるが、みんなが計画的に健康診断を受ければ、原発に関係のない癌も発見されることも期待できる。(つづく)
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【九条噺】
このほど3人の女性にノーベル平和賞が授与された▼リベリアのサーリーフ大統領はアフリカで民主的に選出された初の女性大統領として、女性の地位向上や和平確保等に貢献し、同国の平和活動家レイマ・ボウィさんは長期間にわたる戦争の終結や、女性の政治参加拡大に尽力してきた。またイエメンの民主活動家タワクル・カルマンさんは「アラブの春」といわれる中東民主化運動の中で女性の権利や平和を求める非暴力の闘いの先頭にたって奮闘してきた。いずれも、救いを求める多くの人々への、女性ならではの深い愛とともに、勇気や困難に屈しない強靭な心あってのものであろう▼女性で初めてこの賞を受賞したのは、オーストリアのベルタ・フォン・ズットナー(1843〜1914)という作家で、100年以上も前のこと。女性の参政権もなく、戦争も相次いで、民衆が苦しめられていた時代に、ズットナーは戦争の悲惨さを赤裸々に訴え、平和への理念を示して反戦運動とその組織化に献身し、のちには「ヨーロッパの平和運動の母」といわれた。最高傑作小説『武器を捨てよ!』は今も新鮮な魅力を失わない▼今年は日本で初の女性のための雑誌『青鞜』創刊から100年。「元始、女性は実に太陽であった」「(女性の)自由解放とは偉大なる潜在能力を十二分に発揮させることに他ならぬ」という平塚らいてう(1886〜1971)の宣言を今あらためて読み、納得している。(佐)
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憲法審査会始動に日弁連が会長声明
10月27日、日本弁護士連合会(日弁連)は宇都宮健児会長の「憲法審査会の始動に当たっての会長声明」を発表しました。
声明は、「本年10月20日、衆議院及び参議院において各憲法審査会の委員が選任され、翌21日には第1回の会合が開催されて、会長、幹事が選出された。当連合会は、憲法改正手続法について法案段階から数々の問題点を指摘してきたが、同法成立後も次のとおり、繰り返し問題点を指摘してきた」として、
「@同法が成立した07年5月14日、憲法改正手続法成立について、『最低投票率の定めがないことを始め、本来自由な国民の議論がなされるべき国民投票運動に萎縮効果を与えるような多くの制約が課されること、資金の多寡により影響を受けないテレビ・ラジオ・新聞利用のルール作りが不十分であること』などの是正すべき問題点があること、参議院の調査特別委員会で18項目の検討や措置を求める附帯決議がなされており同法が十分な審議を経ていない」
「A09年11月18日、『意見書』で、投票方法や運動規制をはじめ8項目にわたる同法の問題点をあらためて詳細に指摘した」
「B10年4月14日、附帯決議の、特に成年年齢、最低投票率、テレビ・ラジオの有料広告規制の3点については『本法施行までに必要な検討を加えること』とされ、附則で、成年年齢、公務員の政治行為の制限などについて『同法が施行されるまでに必要な法制上の措置を講ずるものとする』とされながら、附則及び附帯決議が求めている検討がほとんどなされていない」
と述べた上で、「数々の問題点の指摘にもかかわらず、同法は10年5月18日に完全施行されたが、以上の問題点の抜本的見直しがなされないままに委員が選任され、第1回の会合が開催されたことは誠に遺憾である」とし、「衆議院及び参議院憲法審査会が始動した今日、憲法改正の審議の前にまずなすべきことは、こうした問題点についての抜本的見直しである。当連合会は、あらためて憲法改正手続法の抜本的見直しを強く求めるものである」と要求しています。
日弁連の会長声明の全文は、日弁連のホームページの「日弁連の活動」「会長声明・意見書等」に掲載されています。
日弁連のホームページ
http://www.nichibenren.or.jp/
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