安斎 育郎 氏 B
「アカハラ」とは何か。62年に東京大学に原子力工学科ができ、原子力への夢と希望に燃えて入った。卒業論文は「原子力施設の災害防止に関する研究」というもので、大学院では「尿の中のウランの分析法の開発」という修士論文を書いた。ちょうどその頃、アメリカとの軍事同盟関係が飛躍的に強化された。64年8月にはトンキン湾事件でベトナム戦争に本格的に参入し、日本はベトナムへの侵攻基地になっていた。枯葉剤などを開発した科学者の責任も問われた時代であった。日本は池田内閣の所得倍増計画で、公害、薬害、労働災害が起った。市民みんなが社会的責任に目覚めていった時代であった。66年に日本科学者会議に入ったら、原子力工学科を出た会員は自分だけだったので、直ちに原子力問題担当常任幹事になってしまい、全国の原発立地県から講演に呼ばれ、住民に徹底的に鍛えられた。その集大成が32歳の時の、72年の日本学術会議の基調講演での、6項目の点検基準という問題提起だった。基準に照らしてこの国の原発政策は落第であると烙印を押した。国家公務員が国の原発政策を徹底的に批判したから、マークされる。73年には国会に呼ばれて日本の原発政策は如何にあるべきかを諮問され、そこでも徹底的に批判したので許されるはずがなく、安斎は危険人物で反国家的、反原発のイデオローグと烙印を押されることになった。同じ年に福島原発の公聴会が初めて開かれ、そこで発言することになった。驚いたことは、今回の九州電力の「やらせメール事件」のように推進派は意見を述べる人を何千人も申込み、傍聴人も2万人以上を申し込んだ。もっと驚くことは、「原爆広島の広島商業が甲子園で優勝した。原爆放射能など、ましてや原発など恐るに足らず」という婦人会の代表の演説だった。その頃からアカハラ(アカデミック・ハラスメント=学問世界でのいじめ)が酷くなり、79年3月のスリーマイル島の事故までが酷かった。大学の研究室では「安斎を干す」との主任教授の方針が伝えられ、教育業務は外され研究費は来なくなった。あの手この手の、ネグレクト、脅迫、監視、尾行などいろいろ体験をした。信念を曲げて生きるのは嫌だというのもあったが、日本科学者会議に入っていたこと、学問的にもデタラメをやっている訳ではないという自負、家族の支えも大きかった。生き方としてはマルだと思うが、その果てにこんな事故が起り、申し訳ないという気分が非常に強い。
今はまだ熱さは喉元を過ぎていない。収束後も、これから先も電力生産を原発に依存し続けるのかを国民がしっかりと考えて道を選ばなければいけない。関西電力圏では約4割が原発から来ている。我々は原発の恩恵に浴する人だが、原発はやればやるほど原子炉の中にとてつもない放射性廃棄物が溜まってくる。それを再処理してウランとプルトニウムを濾し分けた後、残りを低レベルと高レベルに分け、高レベルはガラス固化体にして鋼鉄製のボンベに入れ、地下2千mで何万年か市民生活から安全に隔離しなければならない。廃棄物の処理・処分はこれから子や孫や我々に続く何百世代の人たちが金と手間をかけて面倒をみることで、我々は楽しむだけ楽しんで、後はよろしくと、そんなことをやっていいのか、倫理的にも疑問がある。フランスでは廃棄物の20万年後が問題になっているが、20万年後などの議論は論外だ。議論は30年後までぐらい、千年後でも論じてはいけない。私は、原発は計画的に廃絶するのがいいと思っている。今日やめたら明日から安全になるといった代物ではない。とてつもない放射性廃棄物を溜めてしまったし、電力会社は100万KWの原発を動かすと1日億という金が儲かるが、止めたら一銭も儲からないだけでなく、冷却し続けるために1日何千万円の金がかかる。儲からないものに金をかけて安全管理を電力会社がするはずがないから、止めさせるなら国民の税金を使って安全管理をしなければならない。「国家百年の計」として原発をなくして、自然エネルギーを含む代替エネルギー開発を進めることが必要だ。電気は全体としては余っている。春と秋の余っている時に電気を貯めることができるように、電力貯蔵技術の開発も重要だ。電気をできるたけ節約できるような生産、消費、流通、廃棄の仕方を開発することも重要だ。自動販売機をやめただけで原発の3つや4つはなくなる。あの手この手を使ってやれば、原発の8割が止っているがこの国の生活が立ち行かないということはない。原発がなくてもやっていけるという雰囲気が漂い始めて電力会社は困っているかもしれないが、原発抜きでも電力はまかなえるに相違ないと思う。高速増殖炉「もんじゅ」は95年にナトリウム漏れ事故を起こし、15年かけて昨年やっと運転再開にこぎつけたとたんに炉心部に落下事故が起り止った。既に1兆数千億円を使っているが、それだけの金を使って太陽光発電、風力発電などの代替エネルギー開発をやっておれば、もっと違った局面があったに相違ない。予算の使い方も含めて原発のような危険な、将来に禍根を残すようなものはやめて、もっと安全な自然のエネルギーをどんどん開発していった方がいいと思っている。(おわり)
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【九条噺】
敦賀市にある高速増殖炉が「もんじゅ」で、新型転換炉は「ふげん」。ブッソウな施設に菩薩の名をつけたりして仏教者は文句も言わないのかと、かねてから疑問に思っていた。どうやら命名に曹洞宗総本山の永平寺が関わったらしい▼その永平寺で最近「原発を選ばないという生き方」と題する反原発のシンポジウムがおこなわれた。福島第一原発事故を機に原発を見直すことになったようだ。「菩薩の知恵を借りて無事故を願ったのなら浅はかな考えだった。仏教者として懺悔することからはじめたい。便利さと引き換えに子孫に負の遺産をもたらすようなことがあっては」と西田正法事務局長。開祖の道元は求道の末に、人の生命の尊さや戦のない世を説いた仏教の原初に立ち返ったというから、今後もその心を見失うことがないようにと思う▼シンポジウムでの講演は明通寺(小浜市)住職の中嶌哲演師。高野山大学在学中に広島での原水禁大会に参加し、以来、今日までずっと反核平和活動に携わってきた。この間、小浜市では有権者の過半数を超える署名運動を三度やりとげて原発設置計画等を断念させてきた。こうした長年の幅広い市民運動が実り、今年6月には小浜市議会が「期限を定めて原子力発電から脱却」(脱原発)などを求める意見書を全会一致で採択した。それにしても哲演和尚、いやはや大変な活躍ぶりでただただ頭が下がる。(佐)
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米国政府は事故当日、炉心溶融を知っていた
11月3日、河北コミュニティセンター(和歌山市)で「守ろう9条 紀の川 市民の会」の「憲法フェスタ」が開催され、元京都大学原子炉実験所教員・岩本智之(さとし)氏が「原発依存から脱して自然エネルギーへ」と題して講演されました。その要旨を3回(予定)に分けてご紹介します。今回は1回目。
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