第一は、東アジアの平和を脅かす事態の多様化、複雑化である。
アジアにおける軍事的プレゼンスの維持を世界戦略の重要な柱と位置づけるアメリカによる普天間基地の国内代替施設の頑迷な要求、とりわけ辺野古地区への移設の固執、これに付き従う日本政府、その中での拡大抑止戦略の維持、オスプレイ配備の強行、「基盤的防衛力」構想に代わる「動的防衛力」概念の採用、「武器輸出3原則」の見直しなど、日米安保に由来する平和への脅威は枚挙にいとまがないが、金正日総書記の死去にともない金正恩体制に移行した北朝鮮のミサイル実験など従来からの不安定要因に加えて、中国による尖閣諸島の領有権の主張の強まり(その原因の一端は、石原前東京都知事が仕掛け野田民主党政権が応じた国有化がある)、韓国による竹島の実効支配の強化など、領土問題をめぐる国際政治や国民世論の動向が、平和と安全をめぐる域内情勢の雲行きを怪しくさせている。12月の総選挙の直前にも、北朝鮮がミサイル実験を行い、中国当局の航空機が尖閣諸島周辺に侵入し、自民党の候補者たちの街頭演説も俄然ヒートアップした。中国当局の航空機・艦船の尖閣周辺での活動はその後も続いている。06~07年の時点では、安倍氏の復古タカ派的思想への期待は、きわめて熱烈にではあれ、ごく一部のタカ派言論人らの範囲に限られていた。彼の反中国の色彩が濃厚なナショナリズムは、財界などの支配層主流からはむしろ煙たがられていた。しかし、今回の再登板では、こうした周辺国の動きに対して硬軟織り交ぜた外交への期待が、より広範囲で共有されうる危険な状況が生まれている。これに意を強くしてか、安倍政権は、早々と、島嶼防衛などの増強のために、10年12月に民主党政権下で閣議決定された「防衛計画の大綱」の見直しと、「大綱」に基づいた「中期防衛力整備計画」(中期防)の廃止、防衛予算の11年ぶりの増額を決めている。(つづく)
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立憲主義の危機に反「壊憲」の幅広い連携を
早稲田大学教授・水島朝穂氏が、HPに「憲法の危機とは何か―改憲か、壊憲か―」を書かれています。要約して2回に分けてご紹介しています。今回は2回目で最終回。
水島朝穂氏 ②
日本と比較し、ドイツでは何度も憲法を変えているという議論があります。確かに今年(12年)7月に59回目の基本法改正がなされています。でも、手続き的な規定が多く、重要な改正は5回ほどです。両院の3分の2以上の賛成は容易ではなく、与野党は相当議論します。3分の2から過半数に下げるという議論とは次元が違います。
今日の危機とは、このように改憲派から最も右の部分が分離し、「壊憲」派と結合した状況から生まれているのです。その彼らが衆参両院で3分の2を占めたら、それによりもたらされるのは、憲法の、権力に対する統制・チェック機能の解除、すなわち立憲主義の衰退に他なりません。
立憲主義というのは、一般にはあまりなじみがない言葉ですが、戦前は立憲政友会など「立憲」という語を冠した政党がいくつもありました。なぜでしょうか。あの足尾鉱山鉱毒事件で住民救済のため生涯を捧げた田中正造が、亡くなるまで聖書と大日本帝国憲法を肌身離さず持っていたという話はよく知られています。田中や自由民権運動の先達は、帝国憲法4条「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行う」のなかに、天皇ですら憲法に縛られ、その「条規」によらなければ統治ができないという立憲主義の要素を見出し、権力と闘う武器としたのです。
その立憲主義がいま、揺らいでいます。私は、ドイツでナチスが権力を握った1930年代初頭の再現に近い危うさを覚えます。ナチスは28年の選挙では2.6%の得票率しかありませんでした。しかし30年の選挙で18.3%まで上昇するのですが、この選挙では16もの政党が乱立し、国民は失業と生活苦、混乱する政治にイライラした末、「はっきりものを言う」指導者に期待をかけていきます。そして33年3月の選挙の43.9%で全権を掌握し、11月にはナチスのみ出馬の選挙となるのです(得票率92.2%)。
「民意」はいつでもとりとめがないフワッとした存在で、時に暴走することを忘れてはなりません。一方で憲法は、つねに「時代に合わなくなった」と批判にさらされながらも、確固として変わらずにいるからこそ「民意」の移り気ぶりを浮き彫りにしてくれるのです。その憲法が、96条の改正によりフワッとした存在になった時、ドイツの経験が他国の歴史だけに留まらない教訓を示していることを知るでしょう。
現在問われているのは、従来のような「改憲派対護憲派」という図式ではありません。かつて自由民権運動を生んだような地方の保守層の間にも立憲主義の基盤は残っており、彼らは改憲派に与するとされてはいるでしょうが、必ずしも「壊憲派」ばかりではありません。96条の範囲内で改憲を主張するなら、立憲主義に踏み留まるという一点で、反「壊憲」の幅広い連携に加わる資格があるはずです。ナチス躍進を前にして、対抗勢力同士が互いに争って個別撃破されていった歴史の教訓も、また忘れてはならないでしょう。(おわり)
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【九条噺】
先頃ノーベル文学賞を受賞して話題になった莫言氏(本名「菅謨業」55年2月生)が、北海道で13年間以上も逃亡生活を送って話題になった劉連仁氏(当会紙208号でも紹介)と同じ地方の出身で、莫言氏は劉氏と幾度か会っていたとか。莫言氏は劉氏の話をさらに詳しく知るために北海道・当別町を取材で訪ね、関係者らにも聞いてまわったという▼8年前、当別町で開催された歓迎・昼食交流会での莫氏のスピーチが残されている。莫氏は「劉連仁の北海道での日々は悪夢だったが、戦争による劉連仁の伝説は友好の象徴に変わった」「中国と日本は今、政治的に疎遠で、国民感情はお互いに親近感が薄らいでいるが、それは理性を失っているからだ。激高する感情を優しさに改めなくてはならない。それが新しい道を切り開く力になるだろう」と語った。まるで〝尖閣諸島問題〟等で揺らぐ今日をも見越したような発言だ▼他方、中国のサッカーチーム「杭州緑城」を監督として率いている岡田武史さんがインタビューで答えている(朝日新聞1月9日)「日本に帰って新聞を読むと中国はいやな国だな、と思うが杭州に戻ると、出会う大半の中国人からそんな感情は起きない」「普段の生活で嫌な思いをしたことは一度もない」「政治家でもない自分ができることは、中国人と日本人が心をひとつにしてプレーする姿をみせること」。スポーツ界に生きる人ならではの爽やかな発言だ。(佐)
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言葉 「天賦人権説」
「自民党憲法改正草案Q&A」には、「人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」と書かれており、「天賦人権説」を否定しています。
「天賦」とは「天が分ち与える」という意味ですが、もちろん神様が人権を与えてくれた訳ではなく、「人は生れながらにして人権を有する」ということです。日本国憲法は第10章「最高法規」97条で「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と規定し、基本的人権の保障が憲法の最高法規としての役割であり、次世代のために人権を守る責任が我々にあるとしています(自民党案は97条を全面削除)。
「すべての人間は平等につくられている。創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含む侵すべからざる権利を与えられている(アメリカ独立宣言1776年)」「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生れ、生存する(フランス人権宣言1789年)」「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である(世界人権宣言1948年)」と、「天賦人権説」に立っています。「天賦人権説」とは「人権は侵すことができない権利として保障する」という意味とも言えます。それを否定するのは、人権を制約し、戦前のような限られたものにしようとする意図であると言わざるを得ないでしょう。
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『週刊ポスト』が自民党改憲案の問題点指摘
しかし、その主張は・・・?!
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